別館「滄ノ蒼」

side;Cain

 

 こいつの背中はえらくなめらかで、唇を当ててみるとかすかに雨水のような味がする。
 同性の俺が見ても、はりつめた筋肉が美しい――口惜しいことにそんな表現が妙に似合うのだ、こいつの体は。――体を床の上にでもシーツの上にでも組みしいて、こいつの体を貪るたびに、俺の中でうごめく鬱屈と苛立ちは、収まるどころかもっと酷くなる。
 俺は今、こいつの体を通して、彼女を抱いている。
 こいつが触れたかもしれない彼女の頬に、額に、唇に、胸に、背中に、腰に、――そのずっと奥のやわらかな場所に、たゆたっていたであろう彼女の体温を、こいつからほんの少しでも奪い取ろうとして、俺はこいつを抱いている。
 そうでなければ、俺は間違ってもこいつを押し倒したりなどしない。こいつの髪も目も肌の色も、指一本触れたことのない彼女には爪の先ほども似ていないのだから。顔立ちがどうとか声が何だとかいえるどころか、性別という共通項すらない。
 後ろから耳朶に咬みつき、脇腹を掴む。どこか痛んだのか軽くうめくのを無視してこちらを向かせる。酷い抱き方だと自分でも思う。構わずに、みぞおちに舌を這わせる。

 初対面の印象は良くなかったはずだ。俺はこいつを見て、女みたいな顔の奴だと思ったのを覚えているし、こいつは俺を見て、敵を見つけた子犬みたいに毛を逆立てていた。否応なしに一緒に育ち、何度か同じ戦場を経験するうちに、おそらくこいつが生まれ持ってきたのだろう公正さと自分への厳しさに、俺は共感した。
 今では俺にとって、時々あまりの優しさが少々鼻につかないこともないが、竜騎士団の連中を抜かせばこいつが唯一、背中を預けて戦える相手だ。
 そんな友人は、何を思うのか、俺の行為に抵抗したことも声を上げたこともない。それをいいことに、俺は思うさまこいつを姦しているわけだが――彼女のほんのかけらでもそれで手に入ると思うのは、やはり妄想なのだろうか。

 寄越せ。
 ――寄越せ。

「……、」
 軽く走った快感にぶるりと震えると、そいつが何か言いたげに唇を動かした。
「なんだ」
 俺は蹂躙の手をとめて、口元に耳を寄せた。自分の両肩から髪が落ちかかる感触が鬱陶しかったので、まとめて片側に流す。顔の横に流れおちる金色の波に、そいつが手をのばして撫でた。
「…きれいだ」
 少しかすれた、澄んだ声が、耳元でささやいた。
「これがか?」
「きれいな色。僕と全然違う」
「…え?」
 そいつは、意外に男っぽい長い指で俺の髪をすくいあげ、ゆっくりと弄ぶ。
「――きれいだ」
 もう一度俺の髪をなでて指をからめ、今度はそいつは、本当に心底いとおしそうに、それに唇を寄せた。
 思わずそいつの顔を見直して、俺は気づいた。
 そいつは今、何も見ていない。俺など見ていない。
 うっとりと幸せそうに俺を見上げているが、そいつの意識はここにはない。

 …その瞬間俺は唐突に、自分の髪の色も長さも、「彼女」のそれとよく似ていることに思い至った。
 俺が彼女を得ようと組み敷いたこいつも、俺の体を通して彼女を抱いているのだ。



 ――俺は、何よりもそれに、恐怖した。


(2010.5)