別館「滄ノ蒼」

英雄の刺客

 片手に兎。もう片手に行商のトランクを握りしめて、私は村の入口に立っていた。
 中央の命令が届く街よりも東の国境のほうが近いような、ひなびた辺境の村だ。出入り口には、看板が立っているわけでもなければ柵があるわけでもない。下された指令のとおりにやってきたのだから、ここがそうなのだろう。川を渡り、丘を回り込んで、食料にでもなるかと兎を獲った。村に入ったときに向けられるだろう訝しげな視線を、幾ばくかでも和らげることができるかもしれない、と思ったからという理由もある。
 どこの地方でも、辺境に近づくほど来訪者は少なく、怪しいものを見る目は指数関数的に厳しくなるものだ。
 私はもう、そんな旅を3年ほど続けている。おそらく魔法を使える他の同僚は、もうほとんど軍に残っていないだろう。

 革命が成り、我々のリーダーだったアレク様が戴冠した。新しい国のかたちが発令され、それを実現すべく、制度が走りはじめた。けど、その頃すでにファウスト様は処刑されており、魔法使いの部隊員だった者たちは櫛の歯が欠けるように辞めていった。
 あれからだ。ファウスト様が粛清されてから。周囲の目が厳しくなったのは。魔法使いであるならファウスト様の薫陶を受けているだろう、過激思想に賛成した者だろう、アレク様の思想に異を唱える者だろう、という視線。
 私にはいい迷惑だった。
 革命軍において、私は一介の歩兵でしかなく、魔法使いの部隊に編成されていたとはいえ、ろくに魔法も使えず、上層部の方々に目通りしたこともなかった。軍に入って初めて、戦うに最低限必要な魔法を習った程度だ。飛ぶこと、シュガーを作ること、武器を魔法で呼ぶやり方。それから、作戦のたびに必要な魔法。弱い攻撃魔法でも、大人数で一斉に唱えれば脅威になると、その頃に知った。
 それだけだ。戦いが終わって、この身にはろくに魔法など身についていなかった。火を起こすのがすぐに終わるとか、数日ものを食べなくても弱らないとか、少し便利なだけだ。
 他に行くところもなかったから、私は軍に残った。魔法使いであることを態度に出さず、他の兵士たちと同じように剣の訓練だけを行う。それでも、魔法使いを敬遠する視線は年毎に増し、それで同類たちは辞めていったのだ。一応は成績と軍歴で評価され、私は一小隊を率いる立場になっていたのだけど、部下とも同僚とも、だんだん過ごしづらくなっていた。
 そんな頃、私は密かにやんごとなきあたりから命令を受けて、王都を離れることになった。
 その方は帷幕とばり越しに、言葉少なに仰せられた。
「ファウストを探し出し、亡き者にせよ」と。
 
 ファウスト様の粛清は火刑によるものだった。それは軍の者や魔法使いなら知っていたことだが、焼け跡から石が見つかっていないのだと、私はその時に知った。どうやってかファウスト様は火の中から逃れ出て、どこかで長らえている。それを密かに処分しろ、というご命令だった。
 魔法を使っての戦闘になったら、私はファウスト様に敵うとは思えなかった。だが、魔法使いには魔法使いを、相打ちにでもなれば上々、という意味だったのだろう。魔法使いは「いないほうがいい」存在となっていたから。
 それでも身分の保証がされていて、いづらい所から離れられる。私にとっては十分な条件だった。
 私は、建国英雄の刺客となった。

 まず訪れたのは、ファウスト様の出身地だった。今日たどり着いたこの村と同じところだ。
 逃亡者がまず頼るのは親族であろう。普通はそう考える。
 だが、ファウスト様の生家はすでに空き家になっていた。どころか、同じ村の出身だと言われるアレク様のことすら、あまり評判の芳しいものではなかった。村人は口の端を歪めて革命軍の思想について語った。
 魔法使いを忌まず、仲間として扱う。その思想があまり受け入れられていない様子だった。
 王朝が変わっても、人のこころはそうそう変わっていないということだろう。
 お二人とも、おそらくは考えを表明して反対され、逃げるように戦火に身を投じたのだったかもしれない。
 ろくにファウスト様の足取りを掴めぬまま、私は報告に戻るしかなかった。

 密かに、帷幕の脇に通される。あちら側に、人が座す気配がする。
 ご出身地では何も掴めなかった旨を申し上げると、小さなうめき声が聞こえた。

「……ああ……」

 帷幕の向こうの男の声は、安堵が滲んでいるように聞こえた。
 引き続きファウスト様を追うように、というご命令だけを賜って、私はまた王都を出た。

 何ヵ月かあちこちを訪ね回ったが、手がかりはなしのつぶてだった。
 革命まで軍にいた魔法使いを探そうにも、誰も彼も居場所を隠している。魔法使い専門の店などを訪ねても、大した情報はなかった。ただ、ファウスト様のことは他にも探している者がいるらしい、ということだけ分かった。
 情報交換などできるわけもなかった。
 それで、またこの村に戻ってきたのだった。

 顔見知りになった村人に挨拶しながら、歩を進める。行商のふりをしているから、時々声をかけられる。広場を通りぬけて、ファウスト様のご生家の方向へ。村外れの川沿いの、水車小屋のさらに先なのだ。
 水車小屋の脇を通り過ぎようとした時、風が笑ったような気がした。
 水面が陽光を反射し、ひかりが金色や青にちらちら映っていた。
 私のマナエリアに少し似ている。
 ふらりと水車小屋に入り込んだ。誰もいなかったが、あたたかなものの気配で満ちていた。
 精霊がじゃれついてきているのだと、直感した。
 自分のような魔力の弱い者でも、一度くらいはこういうことがあるのだなあと、ぼんやりと思った。
 金や青や萌黄の光が、ちらちらと舞い踊っている。
 ほわりと柔らかな、おおきな光が一つ、浮かび上がった。思わず手を差し伸べると、目の前まで上がってきて、はじけた。ーーこれは記憶だ。この場所の。人の声や川のせせらぎを聴き、ここを訪うものを見つめていた、この場所に住み着いた精霊の、記憶。
 若い男ーー少年と言っていいほどだーーの、声が聞こえた。

 ×××、と、名を呼んでいた。
 ×××、君は、村の外へ出るべきだ。そう切なげに言う、清廉な少年の声が聞こえた。
 きっとこの村の外ならば、君に味方してくれるひとがいる。仲間を集められる。
 この村では、君の考えを大切に思うのは僕だけだし、僕たちの味方はお互いだけだ。
 外なら、よその場所なら、軍をあげれば、僕以外にもきみの味方は得られるだろう。
 ここにいるのはきみのためにならない。君の高邁な考えは僕のためでしか無くなってしまうんだ。
 そんな顔をするな。僕一人でも大丈夫だ。……平気だから。

 話しかけている相手を心から思って発せられるその少年の言葉に、私は魅せられ、焦がれた。ただ精霊越しの声だけの彼に、惹かれた。彼が話している相手を羨み、どうしようもなく嫉妬したのだ。
 私は床に座り込み、ひたすらに耳を傾けた。ほわっと浮かんでは消えていく光に触れることは叶わず、精霊の気まぐれのままに言葉は再生される。ある限りの魔力を与え、身につけていたものを捧げて、彼の声を聴き続けた。



 帷幕の前に跪く。
 ややあって、向こう側に人が座す気配。
 奏上する。ご出身地での出来事。変わりなく鄙びた辺境の村であったこと。
「……他に、其方の所感は」
 初めて御下問があった。「魔法使いとして、なにか感じる所はあったか」と続けられたので、すこし考えて、申し上げる。
「精霊の力が強い地であるようにお見受けいたしました。場所の記憶を、初めて受け取ることができました」
「場所……の、記憶、とは」
「不思議の力が強い場所には精霊が生じます。魔法使いの精神が彼らに同調すると、彼らの見たものや聞いた言葉を分け与えられることがあります」
「それはどこであったか」
「水車小屋です。少年たちが語り合う、うつくしくはかない声を聞きました」
「水車……小屋」
 返ってきた声は、呻き声を絞り出すような調子だった。
「何ということだ……」
「……あの?」
「頼む。そこは」
 悲痛な、男の声だ。少年とは程遠い大人の声。
「潰してくれ。――潰して、崩して、なにもない更地に戻してくれ」
 ひく、と男の小さな嗚咽をのこして、沈黙が残る。
 ……思し召しはいささか物入りにございます、と言って頭を下げると、後ろの騎士が非難がましい目をしたのがわかった。
「魔法科学装置をいくつか、手に入れる必要がございます。それから、住民の避難を」
 了承の言葉が返ってきて、私は西の街での算段を思い浮かべる。
「数十日のうちに、御心のままになりましょう」
「……頼む、から、あそこは」
 私は「かしこまりまして」と礼をとり、その部屋を辞した。


 
 村は空になっていた。仰せの通り、村人の移住が命じられたらしい。家々はがらんどうに、家畜小屋には轡の跡だけが残っていた。
 人が戻ってこないよう、屋根屋根に火を放ち、井戸を崩して獣の屍を投げ込んだ。そうして歩きながら、水車小屋へと足を向ける。小道沿いの川は変わらず、きらきらと陽光を映していた。
 水車小屋の周りをぐるりと魔法科学装置で囲む。呪文を唱えると、繰り返して増幅させる装置だ。そうして最後に、もう一度水車小屋の中に入る。
 ふわりと一つ、拳くらいの大きさのひかりが浮き上がり、あたりの空気を金や青や萌黄色にちらちらと染めた。

 ーー×××、そんな顔をするな。僕一人でも大丈夫だ。……平気だから。
 離れようとも、ずっと君を、思っているよ。
 君と違って、僕は剣を握ったことなどない。剣をとって足掻くことなどできないだろう。
 僕を君に刻みつけて。一番深いところに、君のこころの一番柔らかいところに。そうして僕を連れて行ってくれ。どこまでも、ずっと。

 私は笑みを浮かべて、踵を返した。水車小屋を眺めやり、一息ついて、呪文を唱える。
「<エルデン・エルリカ>」
 魔法科学装置たちが一斉に呪文を繰り返す。「<エルデン・エルリカ>」「<エルデン・エルリカ>」「<エルデン・エルリカ>」、私一人の弱い魔法は何倍にも増幅されて、土地が覆る。土埃が舞い、小川が崩れた。
 辺りは崩壊した。誰も出てこない村の真ん中で、地響きが起きて地面が割れ、水車小屋を飲み込んで、閉じた。最初から更地だったかのように、白っぽい土が覆った場所はすこんと平らになっていた。ふわっと浮かび上がる光はなく、精霊の気配もしなくなっていた。
 私は喜びを抑えることができなかった。
 これでもう、あの少年の声は、私だけのものだ。



 十日後、ご命令を実行した報酬と、新たな仰せを賜った。
「ファウストを探し出し、連れ帰るように。生死は問わない」
 というものだった。

 私はそれを忠実に遂行した。こころはいつも満たされていた。あの少年の声が、美しく清廉な言葉が、私をいっぱいにしていた。
 百年ずっと、ファウスト様を探し歩いた。
 片手に短剣を、片手に行商の荷物を持って中央の国中を訪ね歩く、建国英雄の刺客であり続けた。


(2022.3.13)