別館「滄ノ蒼」

02

 
 これはずいぶんとあとになってから教えられたのだが、ティナはずっと、セリスが冒険者としてあちこち渡り歩き、野宿ばかりして一つ所に留まっていないものだと思っていたらしい。
 けれど実のところ、セリスは街に拠点をもっていた。物資を補充するにも食事をするにも、人と情報の集まる場所に足がかりは必要なものだった。探検する地方の街にまず入ったら、宿の一室や借部屋を確保して、そこから探索に出かけるのである。
 部屋の場所はそのときの気分によって決めた。女のひとり旅だから、用心深く人目の多い通りの近くを選び、夜間に場末の酒場に入るような真似はしない。他の客に絡まれる可能性が大きいだけでなく、そのような店の女給はたいがい売春婦を兼ねているから、セリスのような女客へのあしらいだって良くないものだ。
 そんな暮らしだから、仲間からの便りが届くことはまれだった。何度か酒場に頼んで、手紙の受け渡しをしたけれども、他人の手に個人的な文章を預けることにはためらいがあった。それでは伝書鳩……とも思ったが、伝書鳩の数は少なく、高価だった。そもそも、モブリズに着くよう訓練されている伝書鳩などない。あちらの地方こちらの街へと旅をするごとに伝書鳩も探してみたが、具合の良いものはみつからなかった。
 
 訪ねたことのない街に入るのはいつも、すこしのどきどきわくわくと、心地よい緊張感がある。まっしろな雪の原に踏み出すような、あるいは、大きな古い木の裏側にまわりこんでみるような。ドアをあけるのが、怖い、ではなく楽しみ、になったのは、自分が冒険者として成長しているからだったら嬉しい。そう思いながら、セリスはまた、大きな欅が枝を伸ばしている町の入口をくぐった。やや鄙びた雰囲気の、それでも活気のある目抜き通りを、背筋を伸ばして歩いて行く。
 
 昼をすぎて、うっすらとした雲がきんいろのひかりをはね返す頃には、セリスは小さな基地を見つけることができた。1階が大きめの道具屋になっている建物の3階だ。真ん中に階段があって、周りがぐるりと廊下、囲むように貸部屋がいくつかある。階段を上がりきったところの板が、踏み込むと低くぎしりと鳴った。
 
「ベッドと机はついてるよ。水回りは多少古いから、栓をきちんと締めるように気をつけとくれ。部屋代は一週間ごとに前払いだからね」
「わかったわ。ありがとう」
 
女将がじゃらじゃらした鍵束からひとつを渡してくれた。それを鍵穴に差し込むと、かちりと音がして、内開きの扉が開く。奥の窓の前に机が据え付けてあって、脇に寝台があるのが見えた。出入り口の脇が水回りで、女将の言うように古びていたが、十分に清潔だ。
 
「あの、女将さん」
「なんだい?」
「手紙を出したいの。ここから出すことはできる?」
「ああ、手紙を出すなら、そこの角の酒場に行きな。どこ宛にでも出せるんじゃないかね? 親父が自慢してたからね、ドマにだって着くって」
「そう」
「じゃ、用があれば1階の道具屋まで頼むよ」
「わかったわ」
 
 女将が出ていったので、セリスは机に頬杖をついて、外を眺めおろした。
 ちょうど昼下がりの、食事時が過ぎたころだから、人の流れはまばらだ。もうすぐ冬が来るこの時期らしく、小雨でも降ってきそうなけはいがした。それですこし、胸の奥がすんとするのだと、セリスは気づいた。空気が薄っすらと白いつめたさを含んでいて、窓から温度がしみこんでくる。
 明日は晴れるはずだ、朝から探索に出かけて、日が沈む頃にこの部屋に戻ってこよう。食事はそのあたりの屋台で買ってもいいし、酒場かカフェでキッシュなど包んでもらってもいいだろう。
 静かで緩慢で、けれど知らないものや場所で見つける刺激にみちた、この生活。そういうくらしをしている者もいるのだと初めて知ったのは、リターナーに身を投じた頃だったな、とセリスは思い出していた。
 あの頃は軍人と研究者以外の職業をろくに知らなかったし、商いで生活している者以外の庶民など思いもつかないものだった。
 いろいろなことを知った。教えてもらった。
 あの旅で集った仲間たちに。
 あのひとに。
 
 
 
 遺跡漁りだとかドロボウだとか言われるたびに、「トレジャーハンター!」と訂正していたひとのことを、今では軽く笑いながら思い出せるようになった。
 最初に教えてもらったのは、焚き火の燃やし方だとかキャンプにちょうどいい場所だとか。それから、食べられる野草の見分け方とか、うさぎの捌き方とか、キャンプ道具の名前とか。湿った地面のところにいる魔物の種類とか。そいつの弱点とか。
 とか。
 初めて会って行動をともにして、まず経験したのは野宿だったり戦闘だったりだったから、相手の気性はすぐにつかめた。どんなときに笑って、どんなふうに怒って、何について話し合おうとするか。どんな顔で笑って、どんなふうに顔を歪ませ、なんの話をこちらに振ってくるか。
 つかめなかったのは、気持ち。
 何を考えているのか。
 誰を思っているのか。
 そんなこと。
 
 何度か、あのひとと浜に出て、夕日を眺めた。他に誰もいないサマサの海は、夕日をうつしてきらきら輝いていた。指先だけをからめて目を上げれば、すこんと抜けた視界に、ざあ、ざあ、と波の音が響いていた。そういえば海鳥の声を聞いた覚えがない。只管にあの海は静かで、足元のさくさくいう砂の感触がよくわかった。
 そして、ただキスをした。
 お互いに何も言わないままで、頬に手先が触れ合うのを合図に唇を重ねた。考えていたのは、唇がすこし冷えているなあとか、このひとは鼻筋が細いんだなあとか、そんなことばかりで。聞いてみたいことや言いたいこと、不思議に思っていること、そんなことたちは口に出せないまま、海にとけて行った。
 つかめなかったのは、気持ち。
 何を考えているのか。
 誰を思っているのか。
 そんなこと。
 なにもわからないままで、たどたどしい恋の仕方をすこしだけ、教えてもらった。セリスは彼に恋していたけど、彼にとってのセリスはどうだったのか、今でもよくわからない。
 だから、壊れた世界で彼を探して探してもみつからなかったときには、すとんと納得したのだ。――縁がなかった、と。
 それこそ世界中、くまなく飛空艇を飛ばしたと言っていい。おそらくは世界のどこにいたって、ファルコンの姿は目にしたことがあるはずだった。それでも彼は現れなかったのだ。意図的に見ないようにでもして名乗り出なかったか、姿を隠したのだとしか考えられなかった。
 マッシュやティナは励ましてくれたし、リルムは方々で似顔絵を街角に貼り付けた。それでも見つからない仲間を見つけようとするのをあきらめたころ、ぽつりとそう漏らしたことがある。それを聞いて、エドガーは「そうかもしれない。全くなにをしているというんだろうね」と軽く肩をすくめ、セッツァーは「ったくあの野郎はよ」と舌打ちした。
 結局のところ、見つからなかったメンバーは数に加えないまま、セリスたちは道化を倒した。
 そして今は、各自がそれぞれの道を歩いている。ときどきかつての仲間に手紙を出したりもらったりする。そんな、静かで緩慢で、けれど知らなかったものや場所を見つける刺激にみちた、この生活。なにを思っているのか、考えているのか、結局わからなかったひとの顔も声も、ずいぶんと遠くなった。
 
 
 
        ◆
 
 
 
 ティナへ、セリスより
 ひさしぶりね、ティナ。
 今私は、○○という街にいます。ニケアから船で半日ちょっとかしら、町の入口に欅があって、目印になっているのよ。町の名前を書いた看板はすこしだけ赤錆びているけど、商人も旅人もたくさん行き交う、にぎやかなところです。最近になって遺跡が発見されたとかで、私みたいな冒険者もときどき見かけるわ。お宝をみつけたら、久しぶりにモブリズに寄りたい、そう思っているのよ。
 アレンちゃんはもう3歳になったのだったかしら? せっかくだから、お土産、持っていくわね。玩具がいいかしら? それとも絵本? ティナたちが欲しい物はなにかしら? 子どもたちは元気にしている? 子どもたちには何をあげたらいいのかしら。ああ、もう聞きたいことがたくさんあって大変。だってあなたに手紙を書くの、久しぶりなんだもの。
 前の手紙では、私、いつモブリズに立ち寄ったらいいか、って書いたわよね。でも、気づいたの。私はいつだって立ち寄っていいんだろうなって。ティナはいつだって、笑って迎えてくれるだろうって。もちろん、子供たちみんなもね。
 帰る場所があるって、本当に心強い。
 どことも帰るところを定めずに旅をしている冒険者もいるけど、後ろによりかかれるところがないように見えるわ。前にすすむしかなくて、さびしく、ないのかしら。
 
 秋月の祝福がありますように。星の光が、あなたの行手を照らしますように。
 
 
 
        ◆
 
 
 
 何日か経った。日ごとに日差しが遠ざかっていく気配がする。冬が近づいているのだ。
 雪が降る前にある程度、今取り組んでいる遺跡には目処をたてておきたい。考えながら、3階までを上がっていく。
 
 階段を上がりきった所で、人影を目に留め、セリスは立ち止まった。
 セリスの部屋の斜め向かいの部屋の扉に鍵を差し込んで、今まさにがちゃりと開けようとしている者がいたからだ。部屋の主だろうか、彼の扉が閉まるまて、少し待ったほうがいいかもしれない。そう思ったのは一瞬で、すぐに目を見開いた。
 何重にもぐるぐる巻き付けられたバンダナ。袖をまくった黒っぽいジャケット、じゃらりと音がしそうなアクセサリ。
 そんな格好をしている人物を、セリスは一人だけ知っていたからだ。
 足元の床板が、ぎしり、と鳴った。
 彼はその音に反応したのか、こちらを振り返る。そして、目を見開く。
 
「……セリス?」
 
 ほんとうに、久しぶりに。声が鼓膜を打つ。ほんの少し尻上がりの、明るいその声は、何年か経っているのに忘れていなかった。その事実に、こころが震えた。
 
「……ロック……?」
 
 そのひとの名を、ようやく声に出すことができた。
 景色がぐらり、とした。音が遠ざかる。すべてがどこか遠くの出来事みたいに見えた。……
 そのあと、何と言っておのおの部屋に引き取ったのか、どうも覚えていない。多分セリスは「ひさしぶりね、無事で良かった」などと言ったはずだ。彼のほうは、後でセリスを訪ねるから、といったようなことを言っていた気がする。
 だから本当にロックが部屋を訪ねてきて、セリスは驚いたのだ。
 それはセリスが机に地図を広げて、遺跡の内部構造を書き込んでいるときだった。ドアがこつこつ、こつ、と特徴的な調子で鳴らされて、来客などロックか女将しか思い当たらないから、ドアスコープを覗くのも早々に、セリスは訪問者にドアを開いた。
 
「さっきは悪かった。時間はあるか?」
 
 覚えのある、軽い調子で問われる。態度も口調も記憶にあるままだった。気負いのない様子に、なにか深刻な話ではなく、本当に言った通り、セリスを訪ねてくれたのだとわかった。
 
「どうぞ、入って。なにもないけど」
「いいさ、お前と話しにきただけだから」
 
 言って、ロックはさっさとドアの内側に入ってきた。「どうぞ」と机の前の椅子を勧められるのを待って、なにやら取り出す。差し出されたそれは、なにかの種(シード)らしきものが詰まった可愛らしい小瓶で、ラベルを見れば『フェンネル』などと書いてある。
 
「手土産、なにもなくてさ」
「気にしなくていいのに」
「一応、ちょっと珍しい瓶の形だからどうかなと思って」
 
 セリスはふふっと笑って礼を述べ、小瓶を窓際に置いた。うっすらした日のひかりが小瓶の角を照らして、そこだけ別の季節が宿ったみたいだった。湯沸かしを点け、コーヒーの準備をすることにした。
 ぽつぽつと、この街に来るまでの経緯を報告しあう。セリスはあの道化を倒したことと、ティナとしばらく過ごしたことを語り、ロックはそれに賛辞を述べてくれた。そしてロックの方は、訪れた洞窟や遺跡や村の話をし、セリスはうなずきながらそれを聞いた。
 
「……ってことで、俺はその洞窟を出てきたってわけ」
「ふふ、それで手に入れたお宝は珍しい石だったのね」
「そうそう。やられたーって感じ」
「……あの」
「何?」
「コーリンゲンへは、行ったの?」
 
 直截的な、拙い聞き方になったのは仕方ない。ロックは一瞬痛みを堪えるような表情をしたが、顔をあげて、率直にセリスに答える。
 
「行った。しばらくいたよ」
「そうなのね」
「全部、区切りをつけることができた」
「……そう」
 
 なんと返したら良かったのだろう。よかったね、ともお疲れ様、とも言いがたかった。
 それで沈黙が落ちた。お互い、コーヒーに口をつけて間をさぐりあう。
 窓枠が風をうけて、カタリ、と鳴った。
 ロックは不意に顔をあげて、ちらりと窓の外を見ると、「雨でも来そうだな」と言った。セリスもつられて外を見やる。空は白くて、冷たくしめった風が吹いているのか、街路樹が揺れていた。
 
「……あ、そうだそうだ」
「何?」
「もう雪が降りそうだから、手仕事をしようと思ってさ」
「手仕事?」
 
 セリスは意外な言葉に目を見開いて、首を傾げた。手仕事といえば、雪に降り込められる間の、暇潰しを兼ねた内職のことだ。目の前のひとの自称と、手仕事という言葉がどうも結びつかない。
 
「雪が降る間、内職をするの?」
「うん、ほら、探索とかできないだろ。家賃はなんとかしなきゃいけないし」
「それもだけど。何の作業をするの?」
「どうだろ。木工の協会で何を募集してるかによるかな?」
「協会の募集?」
「部品を削ったりとか、色を塗ったりとか。俺、得意なんだぜ」
「そうね。……あなた、器用だもの。なんでもできるのよね」
「なんでもってこともないけど」
 
 ロックは少し困ったように頭をかくと、「雪の間、セリスはどうするんだ?」と言った。
 
「金に困ってるとかあったら、木工の協会に紹介するけど」
「そうね…」
 
 ファルコンを降りたときに、セッツァーはドロップ品とアイテムを売り払った金をきっちり十等分したものを押し付けてきた。だから実のところまだその残りがあって、金に困っているということはない。それでも、雪に籠められている間、なにか手作業をしてみるのも悪くないかもしれなかった。
 いろんなことをやってみたかった。初めて暮らす街で窓の外の雪を眺めながら、初めての作業に首を傾げたり試行錯誤したり。軍人だったり戦士だったりしたことしかないセリスの、したことがないことを、いろいろと。
 だからセリスはうなずいた。ロックのほうをまっすぐ見て、首を縦に振った。
 
「……紹介、してくれる? やってみたいわ」
 
 
 
 雪が降ると窓から差し込むひかりが減って、薄暗い。そんな天気が続くとなんとなく人恋しくなるもので、セリスはときどき、ロックの部屋を訪った。逆に、ロックが作業用品を抱えてセリスの部屋をノックすることもある。
 ふたり、額を突き合わせてなにかの部品を削りつづけていることもあれば、同じ部屋にいながらそれぞれ、黙々とやすりを動かしていることもあった。なにかに集中すると音が耳に入らなくなるのがセリスの癖だったが、気づくとカップがテーブルに置かれていて、湯気を立てていることも往々にしてあった。
 
「ロック、ありがとう」
「いーえ」
 
 コーヒーをコクリと嚥下すれば、ふわりと香りが広がると同時に、口の中と喉の奥がぐっと熱くなる。この瞬間が好きだと、セリスは思った。
 ゆっくりとコーヒーを味わってカップを下げ、ゆすいでいると、ロックが隣に立って、布巾を手に取った。
 
「それ、拭くから」
「ありがとう」
 
 そうして、食器を片付けながら、ちいさく口笛を吹く。それは聞いたことのない曲で、どこの曲なのか、とセリスが聞けば、西大陸の北の方、と答えが返ってきた。
 
「西大陸の北……コーリンゲン?」
「……うん」
「なんの曲なのかしら? 明るくて、ちょっとおどけた感じの曲」
「新年を祝う曲、だったかな。新しい気持ちでこれから一年間頑張ろう、みたいな歌だった」
「新年……、誰もが嬉しい気持ちになるときの曲ね」
「そうだな。みんなで村の広場に集まって、焚き火を燃やして、夫婦とか友達同士とかで踊るんだ」
 
 ロックは記憶をたどるような目をして小さく微笑み、真面目な顔でセリスを見た。
 
「もう、だいぶ前の話」
 
 そんな話をすれば、察せることもある。
 どうやらロックはコーリンゲンで暮らしていたしばらくの間、生きているレイチェルと一緒にいたらしい。かねてからの望みを叶えて秘宝を手に入れ、彼女を蘇らせることができたのだろう。
 彼女と肩を並べて新年を祝い、一緒に踊ったり、コーヒーを飲んだ後片付けを一緒にしたり、同じ曲を聞いて口ずさみあったりしたのだ、きっと。
 そして何があったのか、改めて彼女を喪って、見送って、旅に出て、この街まで来た。
 自分の知らない間の彼のことを知って、セリスのこころはざわついた。心を残していたそのひとに対して、ロックは最後まで寄り添うことを選んだのだ。ああやはり彼はそういう誠実さを持っているひとだった、と思うと同時に、最後を迎えた愛はまだ彼を捕らえているだろうか、それとも過去の思い出になったのか、あたらしい絶望と同時にうすぐらい希望じみた感情を抱いてしまったことは否定できなかった。
 
 蘇ったのは、唇と手のひらの感触。
 鼻梁がすっと細くて、唇は薄くてすこし乾いていて、やや強引に抱き寄せられた。
 そんなことをまだ覚えていたのかと、自分でもあきれるけど、あの熱さは身体にしみついてしまっていたのだろう。
 恋をしていた。あのとき、ロックに。
 もうずいぶんと前に、あきらめて蓋をして押し込んで、忘れたつもりになっていたけど、そのひとを目の前にすると、どうしても記憶の蓋が開く。
 それをぎゅぎゅっと小さな箱に押し込んで、もういちど蓋をして、紐をかけて、腹の底のいちばん深いところに閉じ込める。――今は。今は、『仲間』だから。ひさしぶりに会って、気が合って、冬の間を共に過ごしている仲間。春になったら、雪がやんだら、また別々の道を行く。お互いに冒険者として、心地いい距離を保っていないと。
 小さく息を吐いて、木工のヤスリがけのやり方について考えることにした。
 
 
 
         ◆
 
 
 
 セリスへ、ティナより
 お手紙ありがとう! 久しぶりのセリスからの手紙、本当に嬉しかったわ。子どもたちも競って見に来たのよ、セリスのことはもちろんみんな覚えていて、元気にしているのか気になって、手紙が来たのが嬉しかったみたい。わたし、だからセリスの手紙を読み聞かせたの(もちろんそのあと、夜になってから一人で読み返したのよ!)。そうしたらみんな、なんて言ったと思う? 「お土産はお菓子がいい!」ですって。……畑の作物はたくさん取れるようになったわ。けれどまだまだ、モブリズでは甘いものは貴重なのよ。なかなか手に入れる機会がないの。行商人さんがときどき来てくれて、作物なんかと交換に、少しキャンディなんかを手に入れることはあるけど。甘いものは特別な日、お祝いごとのとき、ってみんな知っているのよね。
 
 あなたは今、○○という街にいるのね。ああもしかしたら、もうまた冒険に出て、離れてしまったかしら? その街の名前は聞いたことがあるわ。どんなものを作っている街なのかしら、どんな空気をまとった街なのかしら? セリスと一緒に歩いてみたいわ。
 そうそう、アレンは3歳よ。あと数ヶ月で4歳のお誕生。どうやって祝おうか、今から考えなくちゃ。よければセリスもその時に、寄ってくれたらいいなあと思っているのよ。誕生日はなるべくたくさんの人に祝ってもらうといい、って慣習があるのですって。
 いろいろなひとに名前と年を覚えてもらうことが、あまり大きくない村では重要なのでしょうね。記録よりも人々の記憶に残して、手を差し伸べてくれるひとを増やすためなんですって。
 ……ああそうだ、これは、教えてもらったんだったわ。ブラックジャックで。
 いろんな街や村に行ったことのあるひとに。
 ほんとに、どこにいるのかしらね? あのひとは。
 なぜだかいつか、お土産なんか持って、ひょっこり現れそうな気がするのよ。
 
 冬雪の祝福がありますように。星の光が、あなたの行手を照らしますように。
 
 
 
         ◆
 
 
 
 ひと冬は駆け足で過ぎていった。日陰に固まって凍りついていた雪が小さくやわらかくなる頃、ロックはセリスの部屋を訪れて、手仕事をもうお仕舞いにする、と告げた。
 
「だいぶ雪も消えたし。次の遺跡に行く」
「そう」
 
 何も言わずに出ていってもおかしくないのに、律儀にセリスに挨拶しに来たロックに向けて、軽く肩をすくめてみせた。
 
「木工の協会、次には一人で行かなきゃいけないのね」
「部品を卸すだけじゃん。ちゃんと仕事してたんだから、大丈夫だって」
「あの窓口の人、愛想が悪いんだもの」
 
 半分は冗談だ。ロックは小さく笑って、「セリスならできるって」と言った。すでにまとめていたらしい荷物を軽く背負い直すと、横にくくりつけられたブリキのカップが、カラン、と小さく音をたてる。
 
「そのうち一緒に、ダンジョン攻略しようぜ」
「足手まといにならないように気をつけるわ」
 
 軽く笑って返しておく。今の段階では、冒険者としての腕でいえば、セリスはロックについていくのがなんとか、というところだろう。武器の扱いはセリスのほうが上だが、身の軽さだけでなく冒険の上での判断の速さや野外で過ごす知識など、まだまだ及ばないところはたくさんある。そう素直に言うと、ロックはじっと彼女をみつめて、つぶやいた。
 
「……俺はまだ、お前を守れるのか?」
「あなたに嘘はつかないわ」
 
 まっすぐに返すと、ロックは目を伏せながら、そっか、と言った。
 冬になるまで彼はまたあちこち渡り歩くのだろうか、次の冬にはどこに宿を取るのだろう、と思いながら、階段を降りていく背中を見送った。
 
 
 
         ◆
 
 
 
 ティナへ、セリスより
 風の温度はまだまだ冷たいけど、頬に当たる感覚がやわらかくなったわね。
 もう、春が来たんだなあと思いました。そろそろこの街を離れて、また新しい冒険の場を探しに行くわ。ひと冬をここで過ごして、離れがたい気持ちもあるけど、そろそろブーツの紐を締め直さないと、あたらしい遺跡に入るのに遅れを取っちゃう。冒険者はせっかちなのよ、なんだって早いもの勝ちだし、どこに行くのだって気分次第だし、空のいろと風のにおいと、地面の湿り気をあたらしく感じ取るためなら、朝の暗いうちからごそごそと出ていくのよ。
 
 ねえティナ、突然だけど、すこしだけ思い出話をしていいかしら。
 私の好きだったひとのはなし。だれにも話したことはないけど、きっとみんな知っていたわね。もちろん、あなたも。
 そう、私は彼を好きだった。いま思い返せば、はじめて会った帝国外のひとで、すとんと心がさらわれて、あっというまに特別な気持ちになって。これが恋というものかと、舞い上がっていたのね。
 もしかして、あのひとに、そんな気持ちを抱かなかったら、うまくいったのかしら。
 かけがえのない仲間の一人として、今だって、手紙のひとつでもやりとりできていたのかしら、そんなことを思うの。
 今はそんなことを言っても詮無いけど、あのころの気持ちを思い出して書いてみました。他のみんなには、内緒ね。
 
 春の光の祝福がありますように。雪が溶けるように、あなたの行く先が照らされますように。