別館「滄ノ蒼」

3月10日

 紗のかかった視界を、ぼんやりと思いだした。

 後ろを向いて座っている女の子がいる。
 その子の髪はふわふわとはかなげで、どことなく翠色をおびて透けるようだ。
 セリスは、彼女の顔をのぞきこんでみようかと思うのだけれど、なぜかできないまま、ふわふわ透ける髪を梳いてやっている。
 縦長の磨硝子の、窓の向こうは少し明るい。ほっそりと雨か何か降っているのだろう。
 部屋は薄ら寒く、カーテンや絨毯の紅色も陰に黒っぽく沈みこんでいる。翠色の髪はうす暗い部屋の空気との間にはっきりした境界を描き出しておらず、その翠の髪から手を離せば、その子はすうっと幻のように消えてしまいそうな気がする。
 そんな想像が確定した結果に思えて、セリスはまた一心にブラシを動かした。

 後ろに、すいと気配がさした。
 いつの間に入ってきたのだろう。振り返ると、けばけばしい色彩をまとった白塗りの人物が立っていて、セリスの手首をぐいと引っ張った。
「……ケフカ……」
 ――何やってんノサ? 続けなよ。
「ブラシを持ってるのは、そっちの手だよ……離して」
 ――何だい、馬鹿なセ×ス、お×××、××なら××ヲ×なヨ……
「ねえ、……あのね、あのね、ケフカ、これがおわったらいっしょに行ってほしいところがあるの。わたしね、昨日ね、博士の温室で、さなぎを一匹みつけてね、虫かごに入れて持ってかえったの。だから持ってきてあげる、ケフカにも見せてあげるね、だから見にきてほしいの、」
 ――離セよ。

 道化の仕草はいつもどおりに気まぐれで、今度はセリスの手を振り払い、踵を返す。
 ――おまえでもできルよね、これくらいさ。僕のお人形サンなんだからね、ちゃんと髪を梳いてやるんだよ。

「待って…!」
 おいすがったセリスに、道化はキャンディをひとつ放り投げて、じいっと彼女を見下げる。
 ――はナせ。
 袖をつかもうとした小さな手は、もういちど撥ねつけられた。
 白く塗りつぶされたその顔は平ぺったく、穴をうがったような眼は緑色に光ったが、それはガラス玉が光を反射しているだけに等しい。うっとうしそうにセリスを振り払った細い手の、爪紅の先だけがすこし剥げていて、そこだけ妙に生生しく人間らしさを残していた。
 見上げたまま――セリスは動けなくなった。
 みつめてくる淡い緑の眼。
 ガラス玉の、緑の眼。
 うれしいことも悲しいことももうないのだと、それだけを訴えている――そう読みとることすら拒否する、からっぽの目。
 紅い唇がつり上がり、蠢いた。

――ソウいえばさ。
――そうイエば、お前は「      」じゃナイか――

 どくん。

 一気に背中が冷える。視界の後ろが暗くなる。
 どうして? どうして今、そんなこと言うの。わたしなんか見ていない目で。なんとも思ってないのに。台本でも棒読みするような声で。
 立ち尽くしたセリスの目の前で、ドアが音を立てて閉じた。

 セリスはとぼとぼと元の場所に戻るとポケットに飴をしまい、再び荒っぽくブラシを動かした。
 ほかには誰もいなかったから。
 何もしゃべらない翠の髪の女の子以外に、誰も、この部屋にも、外の廊下にも、おそらく階上の「病室」にも、窓の外の赤錆びた回廊にも。
 それでも、翠の髪はセリスの手元でひっかかることなく、ふわふわ舞い落ちつづける。
 ……とかしにくい。
 セリスはぐいと髪をつかんだ。
 その拍子に、指先に細い金属の、飾りのようなものが触れた。
 その子の首飾りだった。指先にすくい上げてみれば、華奢な唐草をかたどった金色に光る金属で、二カ所だけ小さな宝石がはまっている。その特徴的なデザインには覚えがあったし、金具の部分には見覚えのある小さな傷が付いていた。
 しばらく前まで、セリスの首もとを飾っていた輪と同じだった。
 ――そうか。
 ほんとうに今は、この子がケフカの「お人形」なんだ。
 おとなしく座っていることが存在価値である、お人形。少し前に、ブリザドを唱えたり騎乗したまま剣を振るえるようになったりしたセリスは、その座を追わ れた。そのとき道化はセルロイドの人形とセリスを並べて絵本を読み聞かせていたのだが、セリスがなにやら問い返すと、すごい眼をしてにらみつけたかと思う と彼女の首飾りをひきはがし、「おまえなんかもういいよ」と言った。
 ――そうか。
 この子と私は、おんなじだ。
 いつか彼女も「お人形」の座を奪われるのだろう。
 けれどブラシをかけるたびにふと触れるその子の、うつむいた白いうなじは、とても温かかった。
 何度も繰り返す。ブラシを髪にあてるだけの動きを、何度も何度も。
 縦長の磨硝子の、窓の向こうは少し明るい。赤黒い色に沈みこんだ絨毯とカーテン。そして、じっと座っている翠の髪の女の子は――いつまでたってもしゃべらない。
 セリスは手を止めてうつむき、膝を抱えて椅子と背中合わせに、床に座りこむ。
 手元のブラシには一筋、翠色に光る髪がひっかかっていた。

 ……ケフカ、ねえケフカ、しってる?
 わたし、今日が誕生日なんだよ。
 あなたが、教えてくれた日なんだよ。
 あなたが教えてくれたとおり、背筋を伸ばしてワンピースを着たし、ちゃんと髪をといた。ひとりで剣の先生と博士の温室に挨拶をしにいったし、何本か花を摘んできて花瓶に生けた。
 なのに、なんで――

 時の止まったような胡乱な静寂を、不意に、ドアがきしんで開く大きな音が破り、セリスはびくりとして弾かれたように振返った――



        §



 セリスの髪は細い。
 櫛を入れれば手からこぼれ落ち、光を反射する。ゆるく波打つ長い金髪は、とかす必要がないくらいに櫛を流れさせ、透けるようにかすかなきらめきを残す。
 水の表面のようだ、とティナは思った。
 金糸はちいさな頭から、しっかり幅のある、けれど線の細い肩にまとわって、さらに胸元に流れ落ちている。耳の後ろあたりからとかし上げてやると、セリスは心地よさそうに閉じたままのまぶたを少し震わせて、ティナの手に頭の重みを預けた。
 ブラシをかけるたびにふとうなじに触れる細い手は、少しひやりとしていて、とてもやわらかい。
「――ねぇ、ティナ」
「なに?」
「これって、どんなふうに結ってるのかしら?」
「さあ、……お楽しみにね」
 リルムが同じ動きをするほどではないにしろ、ティナの手はきびきびと小気味よく動いて、淡い金の髪を結い上げていく。ブラシをあてては編むことを繰り返しているので、どうやら何カ所かを細く編み込んで片側にまとめ上げていくつもりらしい。
「ねぇ、ティナ」
「――なに?」
「もしかしてこの髪、先月のセッツァーみたいに結いあげて……」
 笑いながらセリスが言うと、ティナも小さく吹き出した。
「大丈夫よ――セリスは似合うわ」
 二人は顔を見合わせてくすくす笑った。

 先月、誕生日だというのでリルムに連れ戻されてくるなり、セッツァーは銀紙でできた上に金紙の星のくっついたとんがり帽子を頭にのせられた。さらには紙輪をつらねた首飾りまでかぶせられて、腹でもこわしたように口の端をひん曲げた。
 せめてもの抵抗か、とんがり帽子を斜めむきに直したり輪飾りを持ち上げたりしていたが、リルムが彼の髪をすくい上げて、「セッツァーの髪って何にもして ないのにキレイだよねー、指通りがいいし。ちょっと癖があるから結いやすいよ、うらやましーい」などと言いながら編み込みなど始めるに至って、最高に凶悪 な顔をして脱力し、おとなしくなった。

 結局、白金色の髪は、先日の銀髪とは少し違う形に結われているようだ。
 心地良くティナの手に頭をあずけたまま、ゆっくりと目を開ければ、いつもの飛空艇の天井が視界に入る。
「ねぇ、ティナ……」
「なに?」
「ほんとに、似あうかしら? ……ほら、いつも私、髪をおろしてるから。なんだか、恥ずかしくて……」
「大丈夫よ。大丈夫」
 ティナは手を止めて、セリスの肩先に散りかかる金糸を、指先でちょっと梳いた。
「髪がどんなふうでも、セリスはきれいよ。それに今日はセリスのお祝いなんだもの。セリスが主役なんだもの。いつもと違うふうにしたほうがいいの。それにわたしも、そうした方がいいと思うの」
 その声は、強い風にだったら散ってしまいそうなほどやわらかい。けれど迷いない。
「……ね、セリス」
 ティナはすこし微笑んで小首をかしげると、もういちどセリスの髪に櫛目を入れた。
「あのね、覚えているかわからないけど……、昔ね、わたし、セリスの髪を梳いてあげたことがあるのよ。一度だけ、だけど」
「……え?」
「あなたはうつむいて、後ろ向きに座っていた。ふわふわひかる髪から手を離せば、すうっと幻のように消えてしまいそうな気がしたわ。だからわたしは黙って、何回も髪を梳き続けていたの」

 セリスの髪はやはり淡い色に輝いて、水のように櫛をすべらせる。さらさらこぼれおちるそれを、ティナはまとめてセリスの左肩の前に流してやった。

「……帝国城のどこか、うす暗い部屋だったと思う」
 部屋は薄ら寒く、カーテンや絨毯の紅色も黒っぽく沈みこんでいる――
「あなたは何も話さずにじいっと座っていて、わたしは後ろに立って、髪をといているの」
 その子の髪はふわふわとはかなげで、どことなく翠色をおびて透けるようだ――
「磨硝子ごしのほんの少しの光だったけど、やっぱりとかすたびにセリスの髪はきらきら光って、きれいだったの」
 彼女の顔をのぞきこんでみようかと思うのだけれど、なぜかできないまま、ふわふわ透ける髪を梳いてやっている――
「そのうち誰かがドアを開けて、」
 びくりとして弾かれたように振返った――

「ティナ、それって……!」

 セリスは絞り出すように声だけを上げた。
 振り返ったのは私だったの、それともあなただったの。そのひとはなんて言って入ってきたの。そのひとは、誰だったの。
 問おうとして、後ろを見ることができない。天井を見上げたまま肩をこわばらせて、セリスは恐ろしい答えを待った。
「誰だったかは覚えてないの。けどその人は、たくさん花を抱えていたの。そうしてよろよろ入ってきて、セリスにって、お誕生日おめでとうって、そう言ったの」
「誕…生日……?」
「あれは誰だったのかしら。わたしはもう、あのひとの声が暖かかったことしか覚えていないわ。――でもね、ちゃんとおめでとうって、お祝いだよって、そう言いに来てくれる人がいるんだって。わたし、お祝いされてるあなたが羨ましくって、でもそれ以上に嬉しかった」
 こわばっていた肩から、かくりと力が抜けた。セリスは再びティナの手に頭の重みをあずけて目を瞑り、うすいまぶたを少し震わせた。
「……そのあとのことは覚えてないの。でも、きっとわたしも、セリスお誕生日おめでとうって、そう言ったんだと思う」
 そう、なのね、と、きれぎれにつぶやいたセリスの髪を、ティナは後ろからなでていた。ええ、そうよ、と答えるその声はやはり、風が吹けばかきけされてしまいそうなほどやわらかいのに、迷いなく穏やかだ。
「今はわたし、セリスの髪をとかすだけじゃなく、結ってあげられるのね……」
 結いあげられてあらわになった白いうなじに、ティナの指先がそっと触れる。
 そこはやはり、とても温かい。

「――セリス、お誕生日おめでとう」

 

 

 

色をも香をも知る人ぞ知る」