別館「滄ノ蒼」

9月9日

 夏の夜だった。
 沙漠の闇はきんと乾いて、昼間の熱を砂から放出しきり、どんどん温度を下げていった。背後の山々の裾に張り付くようにして開かれた小さな町で、一行はその方向を見定めようと、夜空を見上げていた。
 国王生誕を祝うために、0時に花火が上げられるのだそうだ。
「なあ、城で上げるんで間違いないか?」
「それ以外に場所がないだろ」
「広告にも書いてあったぞ。城だって」
「そうか。まだみたいだな」
 乾いた風がゆるく吹いていく中に、藍色の紗を何重にも重ねて漆黒に近づけたたような空が広がっている。視界のほとんどがその色で、銀砂をまいたように星が瞬いていて、ぽっかりと十六夜の月が中空にかかろうとしていた。
 リルムは林檎飴をかじりながら、右隣のストラゴスを見やった。向こう側に雪男がいて、じっと座っている時間をいいことに、祖父は大きな獣の毛皮を観察しているのだ。今はなにやら、雪男に骨彫刻の極意だか見識だかを聞いているらしい。小山のような大きさの雪男だが、腰をおろす姿勢になっているために、だいぶストラゴスと目線の高さが近づいている。
「…おまえ、おおきさ、おやぶんと同じくらいだウー」
「なんと!? あのモーグリと儂が同じくらいじゃと?」
 炯々とした眼光に、雪男は小さくなって――外見的には、まったく小山のような大きさに変わりはなかったが――剛い皮膚に包まれた手を頭のあたりにやって、もじもじうごかした。
「おまえのあたまの高さ、おやぶんとにてる。毛の色も、おやぶんとちょっとだけ、にてるウー」
「似とるか!?」
「にてる。ちがうか?」
「……ほら、このトサカの部分とか」
「トサカ。そうか、そこ、おやぶんとちがうな」
 雪男は素直にこっくりうなずくと、嬉しそうに手を伸ばし、思ったよりもそうっと、ストラゴスのいわゆる「タテガミ」の先をなでた。
「――あ!!」
 ひゅるるるる、と、音がしたのを、リルムが指差す。
 ぱあっと光の花が大きく開くと同時に、どおん、と響く。
「花火だ! 上がった!」
「きれい!」
「おっ、スターマインだ」
 ぱ、ぱ、と細かな火花がきらめく。皆は笑顔を向け合いながら、空を見上げた。
 ひゅるひゅると音を立てながら尾を引いて四方に流れ落ちていく花火。
 どん、と大きな音で、大輪の花のようなもの。ぱちぱち弾ける音を立てて、花びらを散らしていくもの。
 さまざまな色や形の火花が、絶え間なく打ち上げられる。皆の頬が、どん、と響くたびに、空に咲いた花の色にそまる。
 
 ロックが皆に向けて、大声で言った。
「なあなあ、気が早いんだけどさ!」
 どん、と再度、おおきな花が濃藍をバックに咲き誇る。
「次の誕生祝いは、誰だ?」
 次の花が、どん、と開き、ぱらぱらと火花の散る音がする。
「はいはーい、たぶんリルムだよ! 来月でーす」
 手を挙げて、リルムはぴょんと跳ね、皆そちらを振り返ってわっと沸く。
「次はリルムか! 祝い、考えないとな!」
「おめでとうリルム! 早いけど!」
「お、なんだどうした、モグ」
「ウーマロ。どうしたクポ?」
 モグは子分の様子を気にしたらしい。注目を集めた雪男は、おずおず確かめるようにモグの方を見ていたのである。
 またひとつ、ひゅるるるる、と花火が上がった。
「……おれも、もうすぐなんだウー。たんじょうび、かぞえる日」
「え、ほんと? 今月? 来月?」
「リルムとどっちが先なんだ? ウーマロ、何月何日?」
「9月の、9日目……」
「あ!」
「いっしょだ! リルム、一緒だよ!」
 ぱちん、と手を合わせて、リルムは大きな白い毛皮に飛びついた。避けて後ろに下がったストラゴスが、「ほう」とひげをしごく。どん、どんと音が響き、大きな花が空に2つ、咲いた。
「ねえウーマロちゃん、お祝いのプレゼント、どうしよっか? リルム、ウーマロちゃんにあげたいよ。絵を書こうかな? 何がいいかな?」
 リルムは立ち上がり、ウーマロの手を取ってくるくると踊った。
「おれも、リルム、いわいたい。彫刻するか? 何がすきだ? おしえてくれ、ウー」
 ウーマロも、のしっと立ち上がり、ばたばたと揃わないステップをふんだ。どしどし響く地面に、軽やかな花火の破裂音が、ぱぱん、ぱぱん、と重なっていく。
 おおきな影と小柄な影が、色鮮やかな赤や緑や金色のひかりにてらしだされては、また闇に紛れる。
 どおん、と最後の音が沙漠の闇のむこうに消えるまで、一人と一頭はそうしていた。
 
 
 
          §
 
 
 
「もうちょっと、あーん、もうちょっと上だってば! もう高くならないの? ウーマロちゃん!」
「ウー!」
 塀の前で、巨大な白い獣に肩車され、必死に塀の向こうをのぞこうとしているのは絵師の少女だ。
 ウーマロの上に乗ってもぎりぎり向こうが見通せない高い塀のせいで、リルムは一生懸命のびあがり、バランスを崩しかけて帽子を押さえ、したたかに手足をばたつかせた。
 塀の向こう側から見るときっと、赤い帽子が挙動不審にうろうろ浮揚しているだろう。
「じじいとモグちゃんがだよ? 今日に、だよ? リルムたちに、だよ? ちょっと外をお散歩しておいでー、だなんて! そんなの絶対、リルムたちの誕生会の準備に決まってるんだから! こそっとでいいから、見てやるんだから! ウーマロちゃんだって知りたいでしょ?」
「ウー…」
「あーん見えない、もうちょっとなんだってば! もう1歩だけ右に行って、もうちょっと、ちょっとだけ伸びあがれない?」
「ウー?」
「あ、ここここ! ちょっと止まってて!」
「ウー!」
 雪男はがっちりとリルムの足を支えており、絵師の少女はごく自然な姿勢でウーマロの肩の上におさまっている。すっかり相棒の雰囲気だ。
 
 お互いを探してあちこち歩き回っていた二人は、さきほどようやく合流したところだった。
 リルムのほうは相手を捜すのにそこまで支障はない。大きくて白くて、のしのし動くかたまりを探せばいいのだ。一方で苦労したのはウーマロのほうである。 少女の赤い帽子は目立つとはいえ、めまぐるしく駆けていったり隠れたりする元気印の女児においつくのは簡単なことではない。
 ようやく合流した二人は、みんなが支度しているのであろう誕生祝い会場をのぞいてみることにした。
 かねてからの観察結果(主にストラゴスとモグについての、だ)、および盗み聞きとカマかけの成果(主にリルムによるものだ)を総合して、容易に場所は知れた。あとは早く見たいという希望をかなえるだけだった。
 
 ウーマロはリルムごとわずかにゆらゆら揺れながら、塀の向こうを想像した。
 皆は少ない物資をやりくりして、心尽くしの精一杯のごちそうをならべてくれているだろう。もしかしたら、演し物の打ち合わせをしている者だっているかもしれない――
 高くなりはじめたばかりのはずの空を見上げると、すっかり目になじんでしまった鈍赤色の雲が、今日ばかりは随分薄くなっているようだった。
 その間にも、リルムは塀の向こうをのぞきこもうとごそごそしている。
「……ウーマロちゃん、ちょっと肩かして! うごくなよ!」
「ウー!?」
 リルムはなにやらごそごそと身をかがめ、手際よく靴のストラップをはずして、ぽいぽいと地面に放り出す。そして塀をつかみ、ウーマロの肩の上に立ちあがった。
「よっし見えた! ……あれ?」
「ウー?」
 そこにはだれも、いなかった。
 確かに気配はしていたのに。ガーデンパーティのためであろうテーブルがいくつかすえつけられたその庭には、祖父の姿も、翼をもった白い獣の姿もなかった。もちろん他の仲間たちの姿もない。
「え、なに!? なんなのこれ?」
 リルムはきょろきょろとあたりを見回す。足の下の獣も、つられて塀の向こうをのぞこうとする。
「――リルムや」
「クポー……」
 不意に、うしろから声をかけられてリルムは飛び上がりそうになった。わたわたとバランスをくずし、結局ウーマロの肩にすわりこんだ。
 雪男の頭につかまって、息を整える。
 なんとかポーカーフェイスを取り繕い、振り返ろうとしたところで、雪男がずっと、がっしりとリルムの足をつかんでいてくれていたのに気づいた。安心だ。
 
「ワシらはこっちじゃゾイ。何をしとるか、主役二人を案内してやろう」
「ウーマロ、何してたんだクポ?」
「ウー……」
「……なんでもない! 遊んでただけだよ!」
「そうかの。では行くゾイ」
「っと、その前に、だクポ!」
「?」
「二人とも、もう一回塀の中を見てみるんじゃ」
「塀の中?」
 それを聞いたウーマロはリルムごと塀のほうに向きなおり、のぞきこんだ。
「リルム、ウーマロ、お誕生日おめでとう!」
 一斉にクラッカーが鳴り、大きなメッセージをかいたボードをかかげ、皆が笑っていた。

 

「誰が玉梓をかけてきつらん」