別館「滄ノ蒼」

唐草

 

 

 

(汚いなあ)

 きたない。きたない。その言葉のひびきはなんだか気に入った。
 淡い金の長い髪を持つ魔導士は、壁際で小箱をささげもちながら、彼の主君にあたる、重厚な存在感でその部屋の、国の、中心に居座す皇帝の後ろ姿を眺めていた。
 暗色の金属でつくられた広間の床には緋の絨毯が敷きつめられ、今日はさらにその上に、この帝国を支える臣下たちが居並んでいる。
 ごぉん…と、どこからかかすかな機械音が響いてくるのは、この巨大な城を暖める蒸気機関が回転している音なのだろう。
 皇帝はゆっくりと臣の列を見渡しながら、新年を無事に迎えた祝いの言葉を述べているところだった。
 豊かに垂れた白髪。豪奢な二重冠に煌めく宝石。貴金属の彫物があしらわれた錫杖。
 広間を埋めた文官武官に向かって響きわたる、威厳に満ちた言葉。
 すでに老境を迎えているとはとても思えない、精力的な動作。

(キタナいなあ)

 きたない。きたない。その言葉のひびきだけをもてあそぶ。
 ケフカの十歩ほど前方に間違いなく立っている、名実ともに地上最強となった王者の、その後ろ姿。
 複雑な柄の織り出された、深い色のマント。力強く緋の絨毯を踏みしめて立つ足元。
 この帝国を、この城を、一代で世界の中心にまで押し上げた、絶対無二の君主。
 皇帝はその存在だけで神に等しい―否、この帝国すべてが信じているのだ、神や物語など彼らには必要ない。
なぜならこの国には、皇帝がいるからだ。その妄信に近いほどの、崇拝の対象。

―それが。この手の中の。

(こんなものが、アノヒトを支えてるのじゃ―なンてね)
 くう、と、赤く染められたの口の端が知らず、つりあがる。
 …こんなもの。こんなものが。
 異国の植物をかたどった繊細な透かし模様の、小さな彫金細工の函(はこ)。
 彼の、時に「か細い」と形容されるほど細長いてのひらにすっぽりと納まってしまう、細身の函。
 くるくると、ぐるぐると。
 小箱の表面で、うずまく唐草。それをささげ持つ魔導士の手は、可笑しくて可笑しくて、かすかに震え始める。

(くだらないよね)
 くく、と、ケフカの唇の端はさらに吊り上げられる。
 細められた水色の目は、しかし、そのまなじりに重ねられた紅にさえぎられ、表情を読ませない。
(僕はあのヒトなんか見たくもナイのにね)
 彼の手の中の小さな箱は、至高の存在たる皇帝の、偽りの生命の源。それを知る者は五指に満たないだろう。
 …茶番だよ。
 茶番だよね。
 くすくす、彼はひそかに肩を揺らしていた。
 意味もなく大声で笑い転げて、「至高」の皇帝を、裸の王様だと指差してやりたいような気分だった。
 しかし彼は、肩にまとわりつく派手な衣装の影で、べえ、と舌を出すにとどめたのだ。
 ―彼の想像の中だけで。



       * 


(早く終わらないかしら)
 膝を折って神妙に皇帝の演説を聞きながら、セリスは思っていた。
 ずらりと並んだ武官の列のうち、最も皇帝に近い、前の列。その末席は、片側を冷えた空気が行き来する。
 ―寒いわけではないが、心地良いものでもない。
(年が明けてはじめての一斉拝謁だし、休むわけにはいかないけれど)
 皇帝の左側、斜め後ろの壁際にひっそりと控えている小柄な人物に、そっと呼びかける。
(新しい品種の薔薇の株、どこに植えるか相談するんでしょう?ねえ、博士)
 シドは、今日はいつもの作業着ではなく文官の装いをして、所在なげに立っていた。
 本当ならこんな儀式などさっさと逃げ出して実験室にもどりたいのだろうな、と、セリスの唇には笑みが浮かんだ。
この儀式と会議が終わればまた博士の温室に戻って、新しい苗をいっしょに植えることになっている。

 朗々と、文官の声が響いた。
「年頭にあたり、各将に皇帝陛下よりお言葉を賜る」 
(…くだらないな)
 皇帝の威光を確認する以外に何の意味もない、将である彼女には無駄といってもいい時間だ。
こういうときは楽しいことでも考えているに限る。セリスにとって楽しいこと、といえば、シドと一緒に温室にいる時だ。
 二人は先ほどまで一緒に温室にいたのだ。いつものようにセリスは紅茶のカップを両手で包み、シドはテーブルの上の山のような実験資料をめくっていた。座る場所もかわされる言葉も、全くいつもと変わらない、安心できる場所。
 やわらかな香りを放つ湯気がたゆたい、時折シドが紙をめくる音が静かに響く、暖かな場所。
 それが彼女にとって最も信じられる場所であり、言葉少なな博士にとってもそうだ、と、そうセリスは信じていた。

 ただ。
 シドは、時折ひどく悲しそうな目でセリスを見た。
 そしてそれよりもまれに、ではあるが、とても冷たい値踏みするような目を向けることもあった。
 それはおそらく、娘のように思っているセリスが、自分が作り上げ、育てた人工魔導士であり、毎日のように戦場で血の波を作り出しているという事実がそうさせるのだろう、と、セリスは思う。
 そのときのシドはずいぶん苦しそうで、いつもセリスは小さな子供がうつむくように、こう思ってしまうのだ。
(…ごめんなさい、博士)

 かわされる言葉はほんの少しでも。
 視線が交わることさえほとんどなくても。
 ―しょせん、彼女は博士にとって「実験体」なのだとしても。

 温かな紅茶を淹れてもらい、ここにお座りセリス、とやわらかな声が響く瞬間があれば。
 温かな紅茶を淹れて、少し休憩したら博士?と声をかければ、生返事をしてこちらに歩いてくる、その小柄な姿があれば。
 とうに追い越した背丈のこの頭を、十年以上も変わらず、やさしくなでてくれるごつごつとした手があれば。
 セリスは再び、戦場にだってどこにだって向かうことができた。

 

「レオ・クリストフ大将―」

 自分の上座では、皇帝が「勿体なくも」軍のトップであるレオの功績をたたえる言葉を述べている。
 其方は、わが剣である。
 其方は、この帝国の天命を支える者である。
 其方は、この南大陸の、否、この御世(みよ)の随一の将軍である。
 いずれも、文句のつけようのない事実だ。
 レオはその武人としての実力と統率力のみで昇進した人物なのだ。―セリスと違って。
 シドがいくら彼女の剣の腕前を褒めてくれたとしても、魔導の力が暴走しないようにといくら注意してくれたとしても、今与えられている将軍位をもってシドに報いることは全くできない。

 じっと床に向けているセリスの視界には、緋色の絨毯だけが映っている。そこに皇帝の柔らかそうな靴の先が入ってきてこちらを向き、止まった。
「セリス・シェール准将」
「は」
 深々と頭を落とした少女に向けて、重い雨のような言葉が落ちてくる。
「旧年中は大層な働きであった。そなたの魔導も、相当の数の逆賊どもを凍りつかせたであろうの」
「おそれいります」
「一ヵ月後より、一個師団をもってマランダの征討に当たるように。それに伴い、少将に叙する」
「…御意」
 広間がざわめきで満ちた。

(…茶番だ)

 セリスのような年齢で将官となっているのは一般的に言えば驚くべきことだが、それは予定調和だった。
 与えられる作戦の数は将として異例に多いとはいえ、そのどれもが、馬丁の少年でも指揮官が務まるような、終結目前の戦がほとんどだった。軍を動かす準備も攻略も、セリスではないほかの将校が指揮済みのものばかりだ。
 そして目の前に放り出された、勝手に降ってくるだけの「勝利」の数に比例して、少女は叙勲の階段をかけあがっていく。
 あくまでもガストラ帝国にとってセリスは、その存在自体―魔導と剣とを同時に揮うことができる「将軍」、として価値のあるものなのだ。

―わかっている。私はそこそこ見栄えのする人形なんだ。

 誰よりも、セリス自身がよく知っている。
 彼女が将の地位についているのは、魔導をこの帝国が掌握していることを広く知らしめ、他国に対して情報面での圧力を強めるため、そしてセリスはわかりやすい偶像として注目を集めるに都合良い―要は美しい外見を持っている、という理由だけだ。帝国軍の誰もが―いや、皇帝からしてそのことをセリス本人に隠そうともしていない。
 叙階を受ける者として皇帝の前で姿勢をあらためると、羨望と反感と冷笑がない交ぜになった無数の視線が彼女に突き刺さる。それには僅かに、同情や期待の色を帯びたものも混じっていたが、そのいずれもを背中ではね返し、セリスは床に膝をつく最敬礼をとった。

(…茶番だな)

 視界の端から、凝った刺繍のほどこされた皇帝の靴先が出て行く。セリスの冷えた頭は、それだけをぼんやりと認識していた。
 そのため、彼女は気づいていなかった。
 その視界のずっと向こうにいた魔導士がいつの間に出て行ったのかも、彼の手の中に何があったのかも。
 圧倒的な存在感を放っていた皇帝の、空虚を宿した目にも。


       *


(つまんないよね)
 一時的に控えの間にさがり、皇帝が姿を現すのを待ちながら、ケフカは相変わらず手に唐草模様の小箱をのせたまま、鏡に向かって毒づいた。
(あノ人、つまんないよ。前はちょっとはスゴいと思ったけどサあ)
 大きな鏡台は、魔導士の白塗りの肌を冷ややかに照り返している。

 鏡に映った自分の立ち姿がなんとなくゆがんで見えるようになってからずいぶん時がたち、今はもうなんとも思わなくなった。むしろ鏡の前に立つたびに、自分の身体がゆらめいて映るのが何度見ても面白くて仕方がない。
 ケフカは鏡をのぞきこみ、自分の目のふちに紅を掃きなおそうとする。視線を動かしもせず、細い手は正確に抽斗をあけて、小さな化粧壷をさぐりあて、蓋をはずした。
 ぐしゅ、と小さな音がして、紅が魔導士の赤く尖った爪にまとわりつく。その感覚が愉しくて、魔導士は何度も何度も紅壷を掻き回した。
(ぐしゅぐしゅ)
 彼の、紅く彩られた口の端が再び吊り上げられ、指先でおこる擬音語をなぞってうごめく。
 小さな紅の壷は、その細長い指先に掻き回されて、内部に血の波を作り出す。
 異国の唐草がうごめくように。蔓をまいた唐草がまとわりつくように。
 血の波。大波。今年もまた「彼女」の手によって生み出されるであろう、累々と築かれるであろう、屍の波が、ケフカの脳裏いっぱいに浮かぶ。

(やっぱり、あのヒトよりあっちの彼女のほうがタノしいんじゃない?)

 ぐしゅぐしゅ、ぐしゅぐしゅ、とひとりごとを繰り返す。くつり、くつくつ、赤く塗りたくられた口の端は楽しそうに攣りあがっていく。おさえられていた笑い声はだんだんと、こらえようもないほど大きくなり始める。
 魔導士の愉悦は、侍従の声にぴしゃりと遮られた。
「ケフカ様、陛下が御成りです」
―なンだ。つまらない。つまんナいよ。
「『準備』を―」
「…わかっているヨ」
「陛下はずいぶんとお急ぎの様子でございまして、僭越ながら早々に調えたがよろしいかと、何人か侍従を連れてまいりまし…」
「くどい。俺に指図する気か―」
 ゆっくり振り返ったケフカの目と口が、笑う形にすっと釣りあがっていた。
「…ひ…!」
 侍従は目を見開き、申し訳ございませんと米搗飛蝗のように何度も繰り返し、汗の浮いた額を必死でなでつけながら一目散に逃げていった。
 見送るケフカは、唐突にきゃははは、と笑い声を上げたかと思うと乱暴に座り込んだ。
 皇帝と同じ、重厚な雰囲気を纏った扉の向こうで、ざわざわと人が並ぶ気配がする。

(…つまんナいよね)

 鏡をのぞきこんで、紅に染まった指先で自らの目のふちをなぞり、唇の端にもこすりつけた。自分の顔がはっきり見えたと思ったところで、廊下の空気が流れ込んできた。

 どこにいても、誰もを萎縮させるような雰囲気の持ち主が、来る。

 すうとおとなしく立ち上がり、小箱を先ほどのとおり捧げ持つ。顔と声には無表情を貼り付ける。
「…陛下」
 皇帝は重々しく、上座に腰を下ろす。
「効果のほどはいかがでしたか」
 ケフカの問いに鷹揚に頷き、なかなか悪くない、もう少し使っておこうぞ、と答える皇帝は、白く塗られた相手の頬が、笑い出しそうな形にわずかに攣っているのには気づかない。

―くだらないよね。くだらないよ。

「陛下のご威光が、普段よりもずっと増したように拝見いたしましたよ。私、感嘆申しマした」
 そうかそうか、と、皇帝は満足げに肘掛け椅子に背を預ける。
 指先でつまみ上げた小箱をうやうやしく控える侍医長に渡してやると、ケフカは壁際に下がって礼をとった。

―茶番だよ。茶番だヨね。

 くく、と頬を引き攣らせる魔導士の笑みはやはり、極彩色の袖の陰に隠される。
 侍医たちは慎重に、ケフカから受け取った金の函を開けた。

 中から取り出されたのは、注射器だった。

―茶番だよ。

 それが皇帝の太い腕に注射されるのを上目遣いで眺めながら、ケフカはやはり笑い転げてやりたい衝動をこらえていた。

 

 するすると、注射器の液体は腕の中にすいこまれていく。

 魔導を照射した生理的食塩水。
 魔導注入に先立つ初期段階として、皇帝自身が注射の開始を望んだのだった。
 最も安全に、確実に。そして強力に。これまでの研究成果の粋を集め、慎重に慎重に。
 世界で唯一、魔導の力をふるうこの帝国。その最高位に立つ皇帝自身が魔導を発揮するために。
 早期の注射の開始は、帝国の版図を広げ、絶対的な大国となるために計り知れない優位をもたらすに違いない。

 それだけではない。

「それだけデはないのですヨ、陛下」

 細胞の活性によって、皇帝は魔力のみならず、筋力や記憶力や免疫力も向上させられるであろう。
 魔導を身につけた皇帝は老いても老いることなく、刃を受けても傷つくことなどなくなるだろう。
 誰よりも安全かつ確実に、皇帝は永遠の権力を保つための肉体を手に入れるだろう―


―そう信じさせることなど




 あきれるほど簡単だった。





 その結果は、どうだ。すぐに皇帝は何かといえば注射を命じるようになった。謁見の前に所望し、玉座にすわるたびに所望し、のどをうるおす代わりに所望する。「ただの」生理的食塩水を。

…くだらないよね。
 くだらなイよあのヒト、最高にね。
 薄暗い部屋にともったランプが、出入り口の重々しいカーテンをぼんやりと照らしている。
 いつの間に皇帝は、あの大勢の侍従や侍医どもを引き連れて出て行ったのか、皇帝が何を言い置いていこうとどれほど時間がたっていようと、もはや魔導士にとって知ったことではない。
(飽キた。―つまらん)
 ケフカは再び、鏡に自分のゆがんだ姿を映した。
 鏡越しの自分の手に掌を重ね、上目遣いに自分の目をのぞきこむ。
 今度は盛大に赤い口の端を吊りあげると、くく、と声を漏らした。

―ぴしり。

 ひびが入る。ひびが入る。
 大きな大きなまるい鏡に、ひびが走る。
(でも、ま、あの彼女が血の波をつくってくれるんなら、このハリボテ帝国にもう少しツキアってあげようジャないか)
 くすくす。―ぴしり。
(つまんナイよ。つまんないけどね―)
 鏡越しに自分と指先をあわせてわずかに力を込めると、大きな亀裂が虚像を切り裂く。
(お人形は、人形遣いがイナイとしゃべれないんだもんね)
 砕け落ちる。砕け落ちる。
 大きな大きなまるい鏡が、きんと音をたてて。
 こわれおちてゆく破片の波に向かってべえ、と舌を出すと、蛇のような細長い赤色の反射だけが、闇の中にゆらめいて残った。



          *



 皇帝が謁見等を行う、城の「表」エリアからかなりの距離をまわりこむ。瓦斯灯の配された暗い内廊をぬけ、錠のおりた大扉の前で衛兵に武器一切を預けた上、持ち物をあらためられる。黙礼とともに扉が開かれると不意に、硝子の天窓から自然光がふりそそぐ広い廊下が現れ、誰もが目のくらむような思いをする。それは両の壁に大鏡が規則正しく配された「鏡の廊下」だ。
 こじんまりとした会議室に至るそこは、壁にも床にも暗色の金属がはりつめられた珍しい造りをしている。磨き上げられた硬い床には、セリスの規則正しい足音がどこか鬱々と高く響き、壁の両側は一定の間隔をもって、上背のあるその姿を合わせ鏡からはねかえしていく。
 不意に、彼女の前にけばけばしい色彩の袖がひるがえった。

「…ケフカ」

 いやな顔をして立ち止まったセリスに向かって、魔導士はくう、と目を細め、口の端を釣り上げた。
 彼の中でうごめいている忌まわしさに対し、どうしても感じざるを得ない嫌悪、それが少女の表情をわずかながら歪めさせるのを、何よりもケフカは愉しむのだ。

「遅かったじゃないか、待っていたんデスよ」
「…会議の開始時間には、まだ間がある。だいたい何で私を待っているんだ」
「何を言っているんだい、待ってイなきゃいつもお前は僕を探し回ったじゃナイか―」
 少女の碧い目が苛立ちをつのらせるのを愉しみながら、魔導士は続ける。
「小さい頃のお前は、いつも僕について歩いていたもンねえ」
「…そこをどけ、会議室に入る。―遊んでいる時間はないだろう、あなたも出席者ではないのか」
「どかナいよ」
 赤く塗りたくられた唇を笑う形にゆがめて、ケフカは顎をあげた。
「お前とアソブよ、つまんないから」
「―ふざけるな、遊んでいる時間はないと言っている」
 吐き捨てるように会話を打ち切り、派手な衣装に触れないよう自分をよけて通り過ぎようとしたセリスに向かって一歩、近付いて、ケフカは言葉を投げつけた。
「会議なんてただの茶番だもの、行かなくても同じだよクダラナい」
 そう思ワない?歌うように道化は言い、また一歩、歩を進めた。
「陛下に万歳と唱え、御意と言って、それで最後にはお前に勲章が与えられる。陛下は偉そうに文書を読み上げ、お前は黙って敬礼し、ほかの連中がきょろきょろ目を見合せたトコロでレオが解散と言う。いつだってそうだ。―お前もそう思わナイかい?」
 セリスはわずかにびくりと震え、立ち止った。
「おマエに位を与えるための会議ばっかり開かれているじゃないか、最近は。戦略もなにもかも、とっくに決まってるのに。会議なんていっても、決めることなんてナンにもナイのに。どうせお前は命令の通り、お飾りとして座っているだけなのに」
 くすくす、くすくす。
 口元を押さえた袖の陰で、ケフカは言葉をつむぎだす。毒をもった唐草がからみつくように。

「―茶番だと思ワナイかい?」

 固い床には絨毯が敷かれていないのに、魔導士の足音は全く聞こえない。
 すい、とまた一歩、近づいた気配に向かって背を向けたまま、少女は小さく答える。
「…ああ、茶番だな」

 次の瞬間にはもう、耳元で薄い唇が蠢いた。
「わかってはイルんだね。思ったより賢いね、カシコイねえセリス」
「くだらないことを言ってるんじゃない。私に触るな…離、せ…」
「離さないヨ。僕はお前を離サなイよ。わかッテイルんだろう?じゃあ反論しないでヨ、くだらない」
 ―わさり、と、とがった爪が肩に食い込んだ。

 高い硝子の天窓の上にはベクタの灰色の雲、雨の粒をその内に抱えこんだまま泣きださない空。
 威容を誇る城の高みから見下ろせば、今や世界の中心とうたわれるほどの鉄色の都市は、その周囲をめぐらす城壁が一望できてしまうほどに小さい。遠くごとごとと低い音がするのは、この巨大な城を温める蒸気機関が回転しているのだろう。

「ごホウビに教えてアゲル。なんにもしらない小娘さん」

 

 こわばった肩にまわされた魔導士の細い手に、じわりと力がこもっていく。
 いやでも感覚するそれを、セリスは振りはらうように、強く首をそむけた。
(聞きたくない)
 いくら思っても、のどは張りついて言葉を発せず、体は動けず。

「―教えてあげる、お前は良い子ダから」

 その内側の、もろそうな関節ばかり目立つケフカの手の皮膚は、すっかり血の気が失われて白く乾いて
いるということに、セリスは気づいた。
「皇帝陛下はね」
 しゅるしゅる、赤く細長い舌が耳元で蠢く。

「皇帝陛下は―お前なんかイナクなればいいと思ってルんだよ」

 少女は思わず身震いする。
(…何を、言っているんだろう)
 この魔導士は。
 私は皇帝陛下にとっては「魔導の実験体」で「帝国の飾り物」で、それは自分でもよくわかっている、ただご命令の通りに剣をふるい、敵の上に氷の粒をふらせていればいい、名ばかりの将軍だと。便利屋として扱われることがあろうと、疎まれるいわれなどないはずだ。

「不思議そうだね。不思議そうだねえ、馬鹿なセリス」

 くすくす、楽しそうに真っ赤な口の端をゆがめながら、ケフカは一方的に続ける。
「皇帝は魔導を身につけるつもりでいる。誰よりも強くなれるつもりでいる。だから魔導の注射が始まった。それは知ってるよね」
(…ああ、それは知っている)
「―じゃあなんであのヒト、最近あんなに犬みたいな暗い目になったんだと思う?」
(…なんで、って、)
「なんであんなに魔導の注入を急いでると思う?」

 ケフカはセリスの顔をつかんで壁のほうに向け、合わせ鏡に並んだ自分たちの姿が目に入るようにした。ぎらりと照り返してくる鏡の中にはいくつもの、正面向きの二人の姿が。その隣にはいくつもの、後ろ向きの二人の姿が。そのまた奥に、正面向きの。

「たぶんね」
 鏡のなかの、いくつもの赤い薄い唇が、うごめいた。

「たぶんあれは―僕とオンナジなんだ」

 ケフカのとがった爪が、セリスの額に当たった。
「このへんの脳がね、委縮し始めてるんだよ」
「…どう、いう…、」
「知らない?ここが委縮するとね」
 魔導士の赤い爪が、白い額をすっと引っ掻いて、
「―目の前の欲望を、理性が抑えられなくなるのさ」
 淡い朱の細い線を残していった。
「陛下は早く魔導を身につけて、北の大陸を自分の魔導でふっとばしてみたいんだって」
 合わせ鏡の中の、いくつものセリスの額にも、朱の爪痕はうっすらと残って、
「そんな強い魔導士になったらさ、あのヒト、自分以外の魔導士なんか―僕やお前のことなんか、ずっと生かしておくと思うかい?」
 白塗りの魔導士は、くくく、と声をあげて楽しそうに笑った。

(…聞いちゃ、だめだ)
 閉じなければ、と思う碧の目を、少女はしかし、閉じられない。
「シドが言ってたけど、あんな―生理的食塩水に照射しただけの魔導?あんなただの水みたいなものでも、注射するって相当に危険なんだってね」
 だから相当、キちゃってるよね、あのヒト。僕と同じだ、お前とおんなじだよ、そう歌いあげるように囁きかける耳元の声に、セリスは精いっぱいの抵抗をこころみる。
「違、う…博士の実験成果で、副作用は、抑えられて、…私のように…」
「お前だけは理性を保っていられるじゃないかって?―本気でそう思っテルの?」
 硝子の天窓の外で、低く垂れこめた雲が、さあ、と流れた。

「戦場では我を忘れテルみたいだねエ、セリス」

「…ひ…!」
「おまえの軍の報告が来るたびに、シドは実験を繰り返してるんだよ、怖くて憎くて仕方ない魔導士を増やすためにね」
(聞いちゃだめだ…!)
 前にも後ろにもはりつめられた鏡のなかの、どの隅からも、見つめられる。赤い隈取の笑ったような眼に。くう、と攣りあがった赤い赤い唇に。道化、と影では形容される派手な衣装に。見返してはいけない。見返しては。

「―お前は奴に、奴自身の罪を思い出させる。魔導なんて危ないものを生身の人間に注入した罪を。ただの実験体のお前に、情をうつしてしまった罪を。だから研究にのめりこむ。魔導を身につける人間が増えれば、ひとりあたりに対する罪が少なくなるような気がしてるんだろう」

 真っ赤な唇が。耳元でうごめき。囁きかける。
「奴はそうだ。昔からそうなんだ。僕やお前が人間を殺すさまが、怖くて憎くて仕方ないくせに、それが見たくて仕方ナイのさ」
 廊下の壁にいくつも配されている、大きな鏡には、後ろ向きの―あるいは正面向きのセリスが映っている。どちらを向いても。前にも後ろにも、背を向けた、正面向きの、将軍と呼ばれる少女の姿。

(…博士、)

 セリスは傍らの剣に必死に手を伸ばしかけ―自分が丸腰であったことを思い出して、かわりに左手に触れた何かの金具をきつく握りしめた。
掌に金属が食いこみ、皮膚を破って血がにじむ。

(…たすけて、はかせ)
「奴は――シドはかせはネ」

 正面の鏡から目をそらせない。自分の後ろ姿から目を逸らしてはいけない。鏡を睨んではいけない。
 とりこまれる。とりこまれてしまうから。
 すう、と僅かに空気が流れて、幾つもの合わせ鏡の中の道化が。少女の背中に。

「―奴はお前なんか大っきらいなんだ」

 長い赤い爪が、細い指先が、少女の頬を後ろから包んで、やさしくやさしく、撫でた。
 拒否できない。振り払えない。振り払ってはいけない。冷たい手を。尖った爪を。
 少女の左手は、掌の中の、何かわからない金属をきつくきつく握りしめる。

(…博士っ…!)

 食い込む、食い込む。てのひらに。金属が。鈍く痺れ。鏡のなか。もやもやと反射。
 左手が。てのひら。血がにじみ。右手は。抗う意識と裏腹に。ゆっくりもちあがって。
 彼女の頬をなでる道化の細長い手に、そっと、そっと、重なって、
 やさしく、やさしく―
 撫でた。

「ねぇ、くだラないと思ワないかい?」


 蒸気機関の音が再び、ごう、と鳴った。


「全部壊しておしまいよ、そうすればお前は自由なンダよ、どれもこれもクダラナイヨね」
 魔導士は少女の頬に長い爪を食いこませながら、笑う。
「茶番だよ、茶番だヨね、殺せ殺セ殺セ!さあ、セリス!」
 魔導士は細い手で少女をなで上げながら、けたたましく哄笑する。
「楽しまセてよ。血の海を見せテヨ、ぜんぶ壊シテ僕を助けて!」

 ぽつりぽつりと、ちいさな円い都市の内側には灯りがともり始めているだろう。
 その中心に座を占めるこの城はもうすぐ、大陸でもっとも高い場所―そのてっぺんの灯台からはるか上空に向けて強い光を放ち、はるか辺境の山々までを帝国の威ではらうだろう。ぎらりと二人の姿を反射させるいくつもの鏡も、すでに薄暗く灰色に沈み始め、ぼんやりとしたシルエットだけを映し出している。
「―…っ!!…」
 セリスが声をあげようとすると、ケフカは突然手を離した。
「さっさと行っておいで、可愛いなンにも知らない将軍サマ」
 くすくすと実に楽しそうな声が、上から降ってくる。セリスの背中から首筋には急速に血の気が戻り、彼女は思わず床に膝をついてごほごほとせき込んだ。
「お前はこの会議で認証されるから。旧型の魔導アーマーどもがお前の後ろにぼけっと従って行って町を踏みツブす、その許可がおりるから。―あの茶番ジジイからね」
 極彩色の裾をひるがえし、奥の会議室へと続く暗色のカーテンを乱雑にはねあげて、道化は冷たく振り返る。
「―お前はいちばんツマンナいよ。セリス」
 そして相変わらずくつくつと笑いながら、跳ねるように会議室に入って行った。


 ―セリスは胡乱な足取りでゆっくりと立ち上がり、そのあとに続いて歩をすすめる。



          *



 朝日が昇る。
 冷たく乾いた風は、将軍と呼ばれる少女の淡い金の髪を舞い上げていく。
 つき従うは帝国軍の精鋭―よりもやや装備の落ちる兵士と、騎乗する魔導アーマー、総数五百あまり。遠からず陥落するであろうマランダの制圧がその使命である。すでにその足元の乾いた土はかたく踏み固められ、あたりには草一本見当たらない。
 ゆるい崖の上に立つセリスが一望しているのは、夕刻になれば圧倒的な存在感を誇る鉄色の都市だ。その円い小さな区画をうめつくす屋根屋根は、射しはじめた日の光を頼りなげにはねかえしている。
 土地は痩せ、空が晴れわたることもほとんどない、この肥大した帝国。資源を収奪し、狂気に導かれることでしかもはや前に進めない、この世界一の魔導と機械の帝国。
 少女は碧い目を閉じ、そっと独りごちた。

(…茶番、だな)

 だれよりもセリス自身が、この帝国そのものだった。ぼんやりと遠くから操られるままに、機械的に、ただその通る道を滅ぼしつくしていくだけの。


―茶番だよ。茶番ダヨね。ああ、なんてクダラなイんだろうね、セリス!


 風に交じって、哄笑が響きわたった気がした。
 くるくると、ぐるぐると、足に唐草がからみつくように、聞こえないはずの声はセリスの喉をしめあげる。

(だめだ、―今は)
 今は、止まれ。凍ってしまえ、こんな感情も思考も。邪魔なだけだ、嗤われるだけだ、軍を率いて行かなければならないのに、生きて帰ってこなければならないのに。
 隣に立つ副官にうながされ、セリスは頭を一つ振って、マントをひるがえした。

「偉大なる皇帝陛下を奉ずる帝国兵士諸君に告ぐ―」
 剣の鞘をはらった少女のよく通る声が響き、兵たちのざわめきは波のように引いていく。

「―これよりマランダへ、進軍せよ!」

 一斉に鬨の声があがった。
 空は相変わらず、薄日と粉塵の色にそまった重たげな雲におおわれている。

(2009.3)