別館「滄ノ蒼」

朱曇

 

 おそらく座っている。
 吹きさらしの瓦礫のてっぺんで、足を組んで、自分のひざに頬杖をついて。
 人ひとりがやっと座っていられるほどの、細く高い高い、ひどく不安定な足場のいちばん上を、決して体温にぬくもらない椅子のかわりにして。
 目に入るのは一面の、ただ濁った二つの色。平坦に塗りつぶされた、空だったもの、そして大地であったもの。人を燃やして立ちのぼる煙に、紅をひと筋たらしてかき混ぜた色。赤く錆びて腐りはてた蝶番の色。その色の中のところどころで、くすんだ鉄色の塊が、ゆらめく。煤けた街。命を失うまいともがいている生き物たちが住んでいる。――しぶといことにまだ、命がある。
 目の高さに両の手を持ち上げ、てのひらを上と下に向ける。鉛色の街がちょうどひとつ、掌のあいだにはさまった。そのまま手首を返す。掌の間のちいさな街は、反転しない。何度やっても。上を向き続けている。ここにある、と主張し続ける。
 気に入らなかった。
 指先を見て、少し力をこめる。尖った爪の先が、すぐに熱くなる。焔と稲妻をまといはじめた魔力の固まりを、軽く投げるようなそぶり。思い通りに動かなかった小さな街は、あっという間に炎光に包まれ、食いつくされ、動かなくなる。命を失い、背景の錆のかたまりの色になじみ、同化した。
 もう、興味を失った。
 仰向けて寝転がる。手を伸ばす。背中に、ぶわぶわとした何かの塊が当たる。足先と頭の後ろが、地面を失って宙に浮く。見えている空間はただ一色、のっぺりと腐肉じみた灰色、その中へどこまでも――落ちていくような気がした。

 いつだったか、聞いたことがあったように思う。
 はるか昔、天まで届く塔を建てようとしたために人間は神の怒りをかい、塔は壊され、言葉はちりぢりとなってしまったのだ――と。
 ならば――その塔、天に至る塔の建造者が神自身であったならば、どうなるのだろうか。
 塔は破壊されず、言葉も失われないのだろうか。
 薄朱い曇天はぶわぶわととりとめなく広がり、瓦礫でできた塔の頂上――否、世界の天辺を、呼ぶ。こちらへ来るようにと、呼び入れる。積みあげられた瓦礫はそれにこたえてどこまでも高く伸びていき、その頂上に居ながら彼は、薄汚れた空の真ん中に向かって、うつぶせて沈んでいく。
 ここは、玉座だ。
 神の玉座だ。
 誰も手の届かない玉座だ。
 その主である彼は今、おそらくあおむけて寝転がっている。否、おそらく膝をそろえて座っている。――否、どちらでも良い。たった独り。誰もいない、誰にも何のかかわりもない。世界で最も高いところにある椅子には、きちんと座っている必要などない。それどころか、それを椅子と呼ぶ機会さえ全くないのだ。
 見わたす限りの空間が、包みこんでくる。底のない沼となって、彼を迎え入れる。彼は延々と、沈んでいく。ずっとずっと、沈んでいく。どこまでも限りなく、赤灰色の中を、おちて行く。



 視界の一番はしに、何かがもぞもぞとうごめいた。視線を上にうごかしてみると、瓦礫の一番下から人間たちが何人か、こちらに這い上がろうとしている。
 限りなく空に近づいていく背の高い椅子の、そのてっぺんにいる彼を、殺しにくるのだろう。
 道化の紅化粧にいろどられた口元が、仰向けたさかさまのまま、くう、と吊りあがった。

(2010.5)