別館「滄ノ蒼」

Side;Cecil&Rosa



 君がもし壊れおちるなら、そのとき君はどんな表情をするんだろうか。

 僕は、まだ知らない。
 君の頬はどれほどなめらかなのか、君の髪はどれほどやわらかいのか、君の肩を抱きしめたならどれほどきゃしゃではかなげなのか、それを僕は知らない。
 いや、知ってはいけないんだと思う。
 この、闇に浸食された僕の指が、手が、少しでも君に触れたなら、君を抱いたりしたなら、君はその瞬間におびえた目をして、僕から伝わる暗黒の冷たさに沈んでしまうだろう。
 君は、人を癒やす者であり、天の恵みをうけた白魔道士だ。
 光にみちた、清浄な日なたで祈り、祝い、与え、人を安らぎでみたす者だ。――だから、君は。
 もし僕が指一本でも触れたりしたら、翼をひきちぎられた鳥のように闇に落ちていき、こなごなの透明な破片になってしまうだろう。

 僕はその時の君を、見たくない。壊れる音を、聞きたくない。
 忌まわしい、血にまみれたこの手が君に触れた瞬間、君は足の先から底なしの黒に喰われはじめて、驚いたような悲しそうな目になる、そしてきっと僕に手をのばす。
 ――僕は、君が壊れおちていくときの顔を、見てみたい。どんな澄んだ音をたてるのか、聞いてみたい。
 いつも穏やかにほほえんでいる君が、その時だけ、僕のいちばん近くでだけ、白いのどをわななかせるだろう。そして望むべくもないことだけど、そんな君を抱きしめることができたなら――力まかせに抱きしめて唇をふさいで背中をなでて、この腕の中にとじこめてしまえたら――、君は崩れてゆきながら、どんな風に僕を抱きしめかえしてくれるだろうか。どれほどなめらかな肌が、やわらかい唇が、あたたかな耳たぶが、首すじが、僕をうけとめてくれるだろうか、なめらかな歯の裏をなぞりながら君の肌をなで上げ、体のいちばん奥まで入ってつきあげたなら、どんなにあでやかに頬を染めて、うすいまぶたを閉じて、どんな声で泣くんだろうか。
 …そして最後に、君はどんな顔をして、冷たい闇に凍りついていくだろうか。

 どうしようもないね、僕は。
 僕は本当にどうしようもない。



 ――愛してるよ。
 だから、僕に触れさせないでいて。


 暗黒の鎧の中のあなたの、そのさらに内側ではどんな音が響いているのかしら、と思う。

 私は、まだ知らない。
 細く見えるあなたの頬や首すじの線が、触れればどれほど固く力強いのか、あなたの胸がどれほど広くて温かいのか、いろいろなことを知らない。
 いいえ、きっと知ってはいけない。
 なぜならあなたの中には間違いなく、すべてを焼きつくしてしまうほどの強い光があふれているから。
 凡人である私がすこしでもあなたに手を伸ばそうとでもしたなら、その光はあっという間に色あせて、あなたから抜け落ちていってしまう。逆に私は灼きつくされて、無残な骸をさらすことになるだろう。
 あなたの本質は、月。すべてをあまねく照らし、守り、励まし、見つめるもの。今のあなたはそれを、無表情な鎧のなかにおしこめて、じっと月を見上げている。――だから、あなたは。
 もしも私が触れたなら、抑えつけられた焔が激流となってあふれだし、私をこわすだろう。

 私はそのときのあなたの表情を、見たくない。あなたからあふれだす悲しみの音を、聞きたくない。
 覚えているわ、子供のころからあなたは、道端のどんな小さな花にでも子犬にでも目をとめて、そばにしゃがみこんでそっと撫でてあげていた。そして私を振り返って、見てごらんよかわいいね、と笑いかけてくれた。その表情は今思い出してもまぶしくて、何よりも澄んでいて、繊細な硝子のようで――そうっと指先でさわって、透明な音を響かせてみたくなって仕方がなかった。
 けれど今もしも、私があなたに触れたなら。
 あなたはきっとすべてを浄化しようと響きわたる音に変わって吹きぬけて行ってしまって、私はあなたを感じられないまま。だから私は、あなたに焦がれている。直にその熱い体温を、一度でも、感じることができたらきっと、私は嬉しくて嬉しくて胸が痛くてもっと欲しくてたまらなくなって、あなたの唇をうけとめてあなたの体のしなやかな重みで私を満たして、背中に爪をたて、胸に耳をおしあてて力強い心臓の音を聞かずにはいられなくなる。
 …そしてあなたの腕の中でこわれていく私を見て、あなたはどんな顔をするのか、見てみたい。

 それでもいいから私を見てほしい。
 どうしようもないけど、そう思ってしまうの。



 ――愛してるわ。
 だから、私に触れさせないでいて。