追惜の鐘
鐘が鳴っている。
七の刻ちょうどを知らせるものだ。まもなく広場に役人たちが並び、処刑が始まる。
窓越しの私の耳にも、人々のざわめきの気配が届き始めた。役人、処刑人、雑役夫、野次馬、……そしておそらくは、人々の間に身を潜める魔法使いたち。処刑者たちの服の糸くずひとすじ、骨のひとかけらすら残さず焼き尽くすよう、高く薪が積まれていく。
それが魔法使いを殺す時の作法だ。
前王朝の末期に、あちこちの街で行われたやり方で、それはつまり、私が幼い頃に大人から聞かされた方法で、最初に教えてくれたのは村の老人だった。そのはずだ。
「魔法使いは死ぬと石を残す。焼き尽くすのはそのためだ」
古老と呼ばれていた彼は、声を低めて私達にそう言った。
私達の村の近くの森にはまれに、魔法生物が現れた。
村人総出でそれを狩る。ひどく強くて手のつけられないものもいたが、大抵は狩って皮をはぎ、臓腑を加工し、残った石を大人が都市で売りさばいた。
ちらりと見えた石は、青みのさした灰色で、小ぶりながらごつりとした重そうな石に見えた。
魔法使いはこの生き物と同じ。なぜなら死ぬと石を残すから。
――だから人間とは違う、そういう論法を大人には含められたけど、私には納得できなかったのだと思う。
だって、生きている間は何も違わないじゃないか、同じかたちをしていて、同じような理由で笑うし泣くし、結婚して一緒に暮らすことを望む者もいるという。同じものを食べて美味いと言うし、斬れば同じ色の血を流し、殺せば死ぬ。私達とすこし『違う』からという理由でなぜ嫌悪できるのか、なぜ差別していいのだなどと思えるのかと。友人に理不尽を強いるなどおかしい、と。
そう思っていた。
石を食べた。
魔法生物のものとは少し味が違うように思った。金属のような苦味があって、舌になじむ甘みがある。僕がそう言うと、師はにこりと笑って、「正解」と褒めた。
「魔法使いの石なんだよね。それも、この間拾ってきたところ」
「……拾ってきた?」
「焼け死んだ奴がいたから」
君の魔力にちょうど馴染むだろう? と、当たり前の顔をすると、次の訓練を促す。
「石の魔力量はわかった? 君、だいぶ魔力が強くなってきてるからね。いいかげん犬猫程度の石じゃ足りないよ」
「……はい」
「じゃ次、こっちの石の魔力量を計ってみて」
あまり魔力が含まれていないことは見てわかった。口に含んでみると、少し甘酸っぱい。
それが植物化した魔法生物の石の味。違いを覚えないと回復も覚束ないよ、と師は言った。
「魔法使いは死ぬと石を残す。焼き尽くすのはそのためだ」
古老と呼ばれていた彼は、声を低めて子供達にそう言った。ただ首をはねても絞め殺しても、良い石が残らないのだそうだ、と。
「魔法使いの石は、王都で高く買い取ってもらえる。何かの良い材料になるのだとさ」
石が何に使われるのかは、古老もよく理解してはいなかった。村では魔法使いを焼いたことがなかったから、領主からの公告と噂を考え合わせると、そういうことになるのだった。
「焼くのは、衆人環視のなかでやらなきゃならない。そうでなければ、どこからか魔法使いが集まってきて、石を取っていくから」
なんでやつらは石を取るんだ、と問う少年がいた。周りの大人がすぐに答える。
「喰うためさ」
少年は怯えた目をして黙る。古老は続ける。
「やつらは同族の石を――死骸をみつけて食らう。骨のひとかけらでも残っていれば、やはり取っていって呪術に使う。飛べるからどこにでも現れる。……魔法使いを嫌悪する理由など、それで十分じゃないか」
古老の話はそれで終わった。後は皆、各々の仕事に戻っていった。
軍服のアレクはひとりで林道を歩いていた。革命軍が拠点にしている村まではもう少しだった。夜はしんしんと冷え込み、かすかな星屑を撒いたような夜藍色があたりに広がっている。手綱を引く手がかじかんで、ときおり、ブルルル、と大きないきものの鼻息があたる。
振り返れば、黒々とした木々ばかりだ。
遠くの小さな灯りを目にとらえ、手綱を握り直した。その時、後ろから声がかかった。
「アレク」
反射的に、剣の柄に手をかけながら振り返れば、そこには幼馴染の姿があった。
「ファウスト!」
軍服ではなかったから、一瞬、見違えたかと思った。動きやすそうな黒っぽい服を着て、なんの荷物も持っていない。アレクは笑顔で駆け寄った。
「おかえり」
「少し拠点に顔を出してきた。お前はこんなところで何をしてるんだ? 伴も連れずに不用心だぞ」
「大した用じゃないさ。この通り、無事だし」
「お前はそういうところが無頓着すぎるというんだ。指揮官にもし何かあったら……」
「はいはい」
いつものように、たしなめるのを軽く受け流す。ぽんぽんと肩を叩いて、アレクは気づいた。ファウストが、髪を後ろでまとめている。
以前はずっと、やわらかな髪を肩にうちかかるままにしていたはずだった。今のように肩を叩いた時などに、ついでにゆびさきですくい取るのを気に入っていたのだが。
「ファウスト。髪を、結んでいるんだな」
「え? ああ、そうだな」
紫瞳がまたたき、自分の肩口のあたりをちょっと見やった。「邪魔にならないし、それに、不用意に落とさないようにと言われたんだ」
「……落とさないように?」
「ああ。髪の一筋でも爪のひとかけらでも、呪術の媒介になるから、って」
当たり前の口調で、アレクの知らない呪術の話などをする。幼馴染の中身が、見知らぬ者の貌で這い出てきたかのような感覚をおぼえて、アレクの首筋は少し、ぞわりとした。
「……修行、ずいぶん進んでいるようだね」
「そうだな。フィガロ様の教えは、わかりやすいよ」
僕の奥底でずっとうずくまって、封じ込められていたものが、素直に立ち上がってきたような心持ちだ、とファウストは言った。本来の自分はこうだったんだと思えるんだ、と。
アレクは無意識に、自分の腕をさすった。夜気が襟元をかすめていったのである。
木々の葉ずれがどこかで、ざ、と鳴った。
「僕はもう行くよ、アレク」
「ああ、では送ろう。林の出口は……」
「いや、大丈夫だ」
言うと、ファウストの手はほのかな光を帯びた。いつの間にか出現させた箒を握っていて、目の前でふわりと浮き上がっていく。空中で箒の柄に腰かけると、笑ってアレクを見下ろした。
「僕は飛べる。だから、お前は早く拠点に戻れ。みんな待ってる」
「……あ、」
「知っているか? アレク、空から見下ろすと、この林の向こうの湖は、くっきりと濃い藍色に浮き上がって見えるんだ」
星明りが、白く頬を照らす。ファウストによく似合う色。
「空の上は静かでいい」
また、夜気がするりとアレクの首元を吹き抜けていった。
友人を高く見上げながら、私は無意識に、奥歯を噛み締めた。
よく知っていたはずの相手を、本当はなにも知らなかった。自分とはちがういきものだったのである。そんな気がした。
黒っぽい服を小ぎれいに着付けるような奴ではなかったはずだった。清廉な顔立ちは人外じみた秀麗さに変わった。ファウストの体温が、わからなくなった。もしかしたらずっと昔から、みずうみの底と同じ温度だったのではないか。
私と触れ合っているときも、内には氷点下の蠢きを飼っていたのではないか。
私が魔法使いだったなら、凍らされ、石にされ、食われていたのではないか。
彼は同族の石を、食べたんだろうか。
甘いのだろうか、それとも苦いのか。私の口内に、唾が湧きはしなかった。
幼馴染が僕をじっと見上げているのは、初めてだった。
アレクはいつだって、僕の横まですぐに駆け上がってきて、笑って肩を叩いたから。
今はこちらに手を伸ばしもせず、黙って碧眼を見開いている。
「アレク、守護の魔法を受け取ってくれ。お前が無事であるように。僕の腕ではまだ、まじない程度だけど」
彼を促し、差し出された手に向けて魔力を流す。いびつな星屑の形のシュガーが、てのひらにころがる。
アレクはじっとそれを見つめ、少しためらった後に、口に含んだ。
「……甘いな」
ちいさく笑って、目を細める。
それが嬉しかった。たいせつな幼馴染を自分の力で守ることができると、そう思った。魔法使いでよかったと、思った。
ざわめきの気配が流れ込んでくる。役人、処刑人、雑役夫、野次馬、……そしておそらくは、人々の間に身を潜める魔法使いたち。
処刑者たちの服の糸くずひとすじ、骨のひとかけらすら残さず焼き尽くすよう、高く薪が積まれていく。彼らが魔法使いだから、というのがその理由だ。綺麗に石だけが残るよう、できるだけ高温の炎が燃え立つように、かれらのすべてが黒く焦げ落ちるように。
火刑の炎が消えたあとは、風がすべてを始末する。猛禽や野犬すら近寄らず、石を取ろうとする魔法使いは追い立てられる。何日かが経って、焼け焦げが風に吹きさらされ、雨に洗い流されたあとには、綺麗に光る石だけが落ちているのだろうか。
窓から遠く見下ろす先、広場の鐘が鳴る。
群衆がいなくなった朝、広い石畳には焼跡だけが残っているはずだ。
私はひとりでそこに近づき、ファウストの石を見つけ、拾い上げ、噛み砕いてのみこむだろう。
その味などわからなくても。
(2021.7.4)