「職業で五つのお題 」より (配布元:代本板)
※傾向:いずれもほのぼのか暗いかです
その1 子供フリオ+マリア / その2 フリオ+レオンハルト / その3 子供フリオ+マリア+レオン / その4 子供フリオ+マリア / その5 フリオ+レオンハルト
その1
水面を、あわあわとした光が跳ねていく。
大きく息をつけば鼻から脳髄まで貫き通していくような、初冬の空気が湖の面を流れている。
先を行くマリアのスカートの裾を見失わないように、野茨の藪をかきわけていたフリオニールは、すこし首をかしげて自分の後ろを見やった。ぴ、と何かがズボンに絡まったような、そんな感覚がしていた。
案の定、野茨の細い枝だか葉の先だかが裾の継ぎ目にひっかかっている。
それを外そうとしゃがみこんで四苦八苦していると、マリアの不思議そうな、そして少し不満そうな声が、ずっと前方から響いてくる。フリオニールがついてきていないのに気づいて、声を上げたらしい。
「マリア、ぼく、ここにいるよ!」
こちらも一声あげて、もういちど野茨の枝に取りかかる。ふと上を見上げると、頼りなげに首を伸ばす野茨の先が、からからと乾いた風情で冷たい青空に揺れていた。
マリアが野茨の陰から顔を出すのと、手元で細い枝がぽきりとちいさな音をたてるのは、ほぼ同時だった。ほんの少し眉を上げて足元を見ているフリオニールに、マリアは唇を尖らせてなにか言いかけ――気づいたように口をつぐんだ。
「……のいばら、折れちゃった」
「……だいじょうぶよ! かして」
「なに?」
「折れた枝、こうして、ね……」
マリアはフリオニールの手から枝をとると、差し交わす野茨をかきわけてしゃがみこみ、土にそれを差しこんだ。まわりの土を寄せて、支える。
「土についたらまた、見にこようね」
「花がさくといいね」
「行こ!」
二人はまた、藪の中に頭を突っこんで進みはじめる。
土に突き立った野茨の先が、きんと凍りついた青空を遠く見上げていた。
その2
剣と剣とが合わさる音。
押し合ってはこすれ、離れて、再び重なりあう。
飛びすさり、またぶつかる。金属音。
こんな田舎のひなびた村では、真剣など構えることすら滅多にないことだった。せいぜいが木刀をもって祭りの試合をするくらいで、だから義兄弟が倉庫から古びたショートソードを持ち出してきただけでも、何だ何だと近所の者が窓から顔を出したくらいだ。
だからレオンハルトは、フリオニールを森に誘った。小道にそって少し歩き、モッコウの木を目印に脇にそれると、やや開けた草地がある。そこなら、遠慮はいらない。
鉈や斧とも、もちろん木刀とも違う重み、掌に伝わる低い温度。その全体から発せられる、刃の自己主張。
そして――常に繊細な低い音が鳴っているような、そんな気配。
剣は、独特だ。
そう思いながら、フリオニールは一度、剣を引き、身体をさばいた。
義兄も同時に、刃を引く。チキ、と小さな音とともに構えなおし、そのままゆっくりと剣先は弧を描き、持ち主の肩の高さでぴたりと止まる。
やはり、剣は低く音を発している。
一瞬目を閉じ、一つ息を吐く。次の瞬間、斬撃が来た。
弾きかえす。腕がしびれる。峰から刃を流し、振り払って今度はこちらが刃先を突き出す。鍔元で受け止められる。澄んだ金属音が響いた。
(この音だ)
剣筋正しく打ち込んだときの、音だ。
剣と剣とが合わさる音。
押し合ってはこすれ、離れて、再び重なりあう。
飛びすさり、またぶつかる。金属音。
もう一度。また何度でも。
低温でうなり続ける音に重なる澄んだ金属音は、合を重ねるごとに増幅していく。
その3
マリアが一心に泥人形を形作っている。
フリオニールはその対面に座り、自分も泥人形を作ろうとする姿勢のまま、泥をいじっていた。
人の形を作る気はないらしく、マリアの手元を見ているだけだ。長兄は近くの塀の上に座ってあたりを眺めながら、ときおり二人に視線を送っている。いつものことだが、すっかり保護者役である。
「ねえフリオ、『おとうさん』の人形をつくってちょうだい」
「う……うん」
「はやくするの! おうち作るの!」
フリオニールがマリアにせっつかれるのも、いつものことだ。
陽が傾いて、急激に地面が冷え始め、長兄は「そろそろ帰るぞ」と塀から飛び降りた。
妹が唇をとがらせつつも素直に頷き、家に向かって走り出すのを確かめつつ、フリオニールを振り返る。
「レオン、ずるいよ。ぼくだけマリアにつきあわされた」
じとりと見上げてくる義弟に、小さく肩をすくめてみせる。
「かんべんしてくれよ、フリオ。おれは女のあそびなんていやだ」
「なんだよ! ずるい!」
「けど、次にはおれがマリアのあいてをするからな」
「うん……」
マリアを追って走って行ったフリオニールの背中を眺めながら、レオンハルトは足元に視線を落とした。
二人が作っていた泥人形が、でろりと地面にのびている。
小さく足を持ち上げて、彼は――それらを踏みつぶした。
「おれは、人形なんて動かすのも、ぎゃくに人形みたいに動かされるのも……ごめんだ」
その4
糸電話の片方は、兄と繋がっている。
もう片方は、義兄と繋がっている。
末妹は、片耳に当てては逆側に話すことを繰り返す。内容は、昨日行ったところや今日の朝食など、他愛ないことばかりだ。
片側から、フリオニールの声が響いた。
「レオン、レオン、ぼくは昨日、森の中で鳥のすを見つけたよ。あとで教えてあげる」
急いで逆側の糸電話も耳に当てれば、兄の声が伝わってくる。
「フリオ。今日の書き取りは上手くできてたな、母さんもほめてたぞ」
――マリアは、ふといたずらをたくらむ顔で笑うと、左右の糸電話に続けて話しかけた。
「レオンハルト。だいすきだよ」
「だいすきだよ、フリオニール」
そっと兄たちを交互に見やると、二人は糸電話を耳にあてたまま目を白黒させていた。
その5
たとえばもしも唯一神というものが存在するとして、
たとえばもしもソイツが、俺たちが刃向い合う未来を定めたとしても。
俺は神を信じつづけるし、お前のことも同時に信じ続けるだろう。
誰にもその役目を渡しはしない。義兄弟の誓約もまた、唯一神に捧げられているからだ。
義弟はそう言って笑い、仰向けに転がった。しばしの沈黙、やがて寝息が聞こえ始め、どうやらそのまま眠ったらしい。
頭上の木々には淡い色の花が咲き、穏やかな風が梢を渡っていた。
右手を伸ばせばその喉元に触れることができ、とくんとくんとリズミカルに鼓動が伝わってきた。
たとえばもしも今、この右手を少しずらして咽喉を強く押さえつけたなら。
たとえばまた、もしもこの右手に刃を握り締めていて、わずかに力をこめたなら。
長い睫毛は血の色の透ける健康的な肌をぴったりと縁取り、やわらかな喉はすうすうと寝息をたてていた。義兄と並んで草の上に転がって、そいつは全く無防備に眠りこんでいたのだ。
たとえばもしも俺ではなく、誰かほかの奴がこの喉を締めあげることがあるとしたなら。
たとえばもしも俺ではなく、誰か俺の知らない奴がこの喉を貫くことがあるとしたなら。
そのとききっと俺は絶望のあまりに叫ぶだろう。誰にもその役目は渡しはしない。心臓を正面から貫き通し、暖かな返り血を浴びよう。そのときお前はどんな顔をするのだろうか、恐怖に凍りついているのか、あるいは不思議そうに俺を見上げるだろうか。そしたら俺はこの手で心臓をつかみ、えぐりだし――
名前のわからぬ鳥が、ぎゃあ、と啼いた。
ざっと風が吹いて、春の風が花を舞い上げていった。
――俺は今、何を考えた?
義弟はあいかわらず無防備に弛緩していた。
血の色が透けて見える肌。藍紫の宵風に揺れる、銀色の髪。
穏やかに寝息を漏らす滑らかな唇。明るい声を発する、意外に線の細い喉。
たとえばもしも、唯一神の気まぐれのままに分かれる未来が定められたとして、
――たとえば、もしも。
ふうと息をつき、肩を揺さぶって声をかけてやった。
起きろ、風邪を引くぞ、と。