太陽は中天にあり、雲ひとつない。
あたたかな陽光が野を照らし、まばたきするたびにまぶたの内側には日の色が映る。
飛びかかってきた双頭鬼の正面から剣をはね上げる。顔面の真ん中を断ち割った。黒くどろりとしたものが流れ出て、足元の若草を汚した。もう一つの顔が牙 をむき、太い緑色の腕がフリオニールの首にのびる。それを切りとばそうとした瞬間、魔物の眉間に矢が突き立った。マリアの援護だ。そのまま剣を振りぬく。 横に跳びすさり、さらに一撃。目を赤くらんらんと光らせたまま、双頭鬼は砂が崩れるように姿を失いはじめる。
右方に走る。向こうで、ガイが戦斧を振り回しているのがちらりと見える。背の高い草の一叢の陰で、首の長い魔鳥が鉤爪のような嘴をかっと開いていた。駆 けながら、氷の魔法を放つ。魔鳥の足元が凍った。もがきながら、羽をはためかせている。あたたかな空気がかきまわされ、魔鳥の臭気が立つ。羽と嘴を避けて 切りつけた。魔鳥は長い首をうねらせてよけ、目障りな人間どもをつつこうとする。再度、嘴を避ける。今度はマリアが駆けてきて、鳥の頭にむけて炎の魔法を 放った。目が焼けたのか、ギエエエエ……というような声をあげて、魔鳥は激しく羽ばたく。凍った脚元で、氷にひびが入り、ぴしぴしと音が上がった。フリオ ニールはななめ後ろに回り込み、魔鳥の首をはねた。
大きな鳥の形をしていたものが、色を失った灰のように崩れ落ちていくのを見ながら、フリオニールは数歩、後ろにさがった。ゆっくりと剣をおさめる。速くなっていた呼吸が、落ち着いてくる。
額ににじんだ汗をぬぐうこともせずに、あおむけに若草の中に倒れ込んだ。
静かだった。
背の高いやわらかな茎たちの間に、小さな黄色い花がいくつも揺れていた。
さっきの戦闘で、その花を何十本も踏みにじってしまったはずだ。細い茎や柔らかい葉の細胞壁は欠けて崩れて、中の水分をぐちゃぐちゃにしみ出させてしまっただろう。
だが花々は、必ずまた茎をのばし葉を持ち上げ、新しい芽をふく。野の花は、踏まれても摘み取られても、いつか必ず立ち上がるのだ。
どこかで、蜂の羽音がした。日なたで温められた花の匂いが、かすかな風となってふきぬけた。
太陽は中天にあり、雲ひとつない。
あたたかな陽光が頬を照らし、瞑ったまぶたの内側は日の色をしている。
背の高い草が、いっせいにざわめいた。
何かが歩いてくる。嫌な感じも、殺気もない。鹿か何かいたのだろうか、とかすかに思ったが、それはまっすぐにフリオニールに近づいてきて、そっと膝をついた。ふりそそぐ光が、ふっと翳った。
「……マリア?」
「そうよ」
フリオニールは薄目をあけた。白く強い空の光に、思わず手をかざした。
「どうしたんだ? 何かあったのか」
「別に、危ないことは何もないわ」
「そうか」
ゆっくりと目を開ける。抜けるような青空がしみるように眩しかった。
「よかった」
「……フリオが、急に見えなくなったから。どこに行ったかと思っただけ」
うん、と頷き、フリオニールはマリアの頭に手をのばして、くしゃくしゃと撫でた。
「ここにいたのね」
「ああ。心配させたな、悪かった」
「……大丈夫よ」
マリアは、そっとてのひらをフリオニールの胸にあてた。金属の胸当ては、陽光をふくんで随分熱くなっている。
「陰に、入らないと。熱になるわ」
「平気だ、もう少しここにいる。近くには、よどんだ水のある場所や陰の深い窪みはなかったよな? 魔物はもう出てこないはずだし、俺は眠ったりしないから」
「魔物の死んだ匂いが、仲間を呼ぶかもしれないわよ。――でもフリオがそう言うなら、私も居てもいい?」
「ああ」
フリオニールはマリアの頭をもういちど撫で、そっと胸元に抱き寄せた。マリアは彼の胸に耳とてのひらをあて、胸当て越しにとくとくと鳴る心音を聞いた。
二人はゆっくりと目を瞑る。
日なたの暖かさが、ゆるゆると体を温めていく。
「フリオ。あのね、……」
「何?」
「あの、今日は、ね……」
「今日?」
フリオニールは首を持ち上げて、マリアの頭を見た。つむじのあたりの髪が、健康的につやつやと光っている。
「……なんでもない」
マリアはつぶやいて、きゅっと体をすくめた。
そのちいさな頭のかたちは、初めて彼女をチョコボの上から見たときからずっと変わっていなくて、いつも陽だまりの中にある。
日の光の色が今とそっくりだった、そのときの記憶をフリオニールは思い起こしていた。
その日、フリオニールはチョコボの背にしがみついて目を閉じていた。
頬を暖かく照らす日差しがふりそそぐ中、チョコボの足が、やわらかい草をふんでいく。
蜂の羽音がして、黄色い花々のあわい匂いを揺らしている。
家畜や人の気配が多くなって、村に入ったのだとわかった。今まで自分がいた寒村とは全然ちがう、と、うっすらと思った。この村はどこにいても暖かくて、夜には凛と冷たい、けれど花の香のする風が、やわらかく吹くのだろう。
日陰に入ったのを感じ、薄く目を開けて周りを見た。父となる人はチョコボを小屋につないでいるところだった。そして義父は、顔を拭いながら言ったのだ。
「さあ、着いたぞ。ここがお前の家だ。お前は今日から私の息子だ」
チョコボの上でもじもじして何も言えずにいると、小さな女の子が駆けてきて、義父にとびついた。荷物の山の中に荷物ではないものがいるのに気づいて、義父のマントの中にすべりこみ、こちらをじっと見上げる。
「……だあれ?」
「今日からこの子はうちの子になるんだよ、マリア」
「うちのこ?」
「おいで、フリオニール」
ごつごつした手がフリオニールを抱き上げて、地面におろした。
踏み固められた土は冷たく、少しふらふらする。マリアは不思議そうに自分を見つめている。なんと言ったらいいかわからず、うつむいて、じっと足元をみていた。
フリオニールはまだ、痩せた臆病な子供だった。義父のチョコボに乗せられたとき、はっきり言えたのは自分の名前と歳くらいだったのだ。
義父はフリオニールの肩をそっとたたいて、言った。
「さあ、家に入ろう。お前がうちに来てくれた今日という日を、これからお前の誕生日にしよう」
その日、フリオニールには、家と両親と、兄と、――そして妹ができた。
太陽は中天にあり、今とそっくりな、雲ひとつない青空の日だった。
あたたかな陽光が頬を照らし、瞑ったまぶたの内側は日の色をしていた。
……ちょうど今日で、あれから十四年が経ったのだ、とフリオニールは気づいた。
数え切れないほど魔物を斬った。帝国兵を殺した。そうしてフリオニールは一年間生き延びて、ひとつ年をとることができた。
うららかな陽が照っている。頬に触れる草はやわらかく、名も知らぬ花の匂いがする。
どこまでも深い青空。見上げると、蝶が一羽、飛んでいた。
きつく目を閉じる。
涙が出た。