皇帝陛下はつと玉座を立たれると、バルコニーへの扉を開けはなたれた。
体を伸縮させながら陛下の後を追い申し上げると、空には一面の雷雲がたれこめていた。時折、細い光が、雲から地面へと走りぬける。
恐れながら、陛下が玉座から動くなどという事態が起こることを、自分は全く、さっぱり、ひとつも、今まで想像したことすらなかった。陛下は常に玉座に設 置され、頬杖をついておられるものだと思っていたのだ(もしも陛下を持ち上げたら、尻から根っこがずるずるついてきて、その先に実った芋とか収穫できちゃ うのではなかろうか、と不敬にも思っていたのだ。)……ああもしも、ここで陛下が自分に手でものばしてくださったら――「こっちに来い、アイメーバ」とか 「おほほほ捕まえてごらんなさい」とかのたもうたならば、自分はもう死んでもいい。
よだれを垂らして(自分には口がないのでこれはただの譬えだ)、どこぞの家政婦のごとく柱の陰から陛下の後ろ姿を拝んでいると、ああなんとそこに現れたのはダークナイト。
こいつはなぜ、いいところで陛下の元にやってくるのだ……20個ほど奴の悪口を心の中に思い浮かべてから、自分はおとなしくすみっこに控えた。ダークナイトは無感動に、声を上げる。
「報告申し上げます、陛下。大戦艦は反乱軍にくみする町を、順調に破壊しております」
「そうか。維持せよ」
「御意。ただ、困ったことに反乱軍の遊撃部隊が神出鬼没にて――」
「お前が困ろうが踊ろうが余の知ったことではない」
ダークナイトが一瞬、言葉を失った。それにやや快感をおぼえていると、陛下は優雅なお言葉を続けられる。
「遊撃部隊とやらを叩き潰してから言え。――反乱軍は何箇所かで小競り合いを起こしたが、トードLv1のごとく失敗した、とな」
「……御意」
陛下は手元で髪をもてあそんでおられたが、ふいに艶やかに微笑まれ、自分にむかって仰った。
「このダークナイトという男は実につまらぬ奴だと思わんか? 面白いことの一つも言わぬ、四角四面の豆腐頭だ。いっぺんぐらいチョコボ頭に変えてこいとでも言いたいところだが、こやつがク○ウド髪にしたところで別に面白くもなさそうだな」
全く仰せの通りである。自分は精いっぱい、体中の目を動かした。
ダークナイトは、ただでさえ仏頂面の口元を、さらにひんまげて言った。
「陛下、またそのようなことを、そのような魔物になど――」
「こやつは『アイメーバ山田』というのだよ、名前で呼んでやれダークナイト」
陛下は繊細な爪先を、自分のほうにお向けになる。ダークナイトが内心目を白黒させているのだろうと思って、自分は愉快になった。
「ほかには、アイメーバ佐藤とアイメーバ鈴木とヴィッテルシュタイン・アイメーバ・フォン・武者小路アルベルトとが居る」
「……なんなんですかそれは。名づけたのはあなたですか陛下」
「魔物の種族ごとに名付けの方向性を決めるのはなかなか頭をつかうのだ」
「名づけのセンスが変ですよ陛下。センスとは何かご存知ですか陛下」
「センスか? 扇のことでないことはよく知っているぞ」
ダークナイトはこめかみを押さえてしゃがみこんだ。
「何を落ち込んでおるのだダークナイト。腹でも壊したのか」
「……腹は壊れてませんが忠誠心が壊れそうです」
「そんなもの元々なかろうが。よし、舌先三寸賞にこれをやろう。受け止めよ」
陛下は手のひらのうえで小さな稲妻を閃かせると、ダークナイトに向かって投げつけた。それは最初に小さな雲になり、次第に形をあらわし、細長い蛇のようになる。きしゃあああ、とうなり声をあげてダークナイトに飛びかかった。
「うわあああ! これは何ですか陛下!」
「見ての通りだ」
「何かわかりませんけども!」
「全く、魔力の低い奴は困る。仕方ないな」
陛下が優雅に指を鳴らすと、ダークナイトにまとわりついていた雲はいくつかの小さな塊に変わった。どうやら小さな獣の形をしており、ダークナイトの鎧に顔をすりすりさせている。
「わかったか? クアールの仔だ」
「なんで雲がクアールになるんですか!」
「魔物の生死は凡人の知識認識の及ぶところではないのだ。お前は黙ってこのおちびちゃんたちの世話をしておれ」
「世話って…ミルクとかフンとか散歩とかです、か」
「ミルクは一日8回、散歩は一日5回だ」
「なんか妙に多くないですか、回数」
「理由を教えてやろう。それはクアールだからだ!」
「いや理由になってないですそれ。…なんでもいいです散歩しますよ…一日5回ですね」
ダークナイトはいじけたようにクアールを一匹かかえこんで、地面に8の字を書いている。
……それにしてもなぜダークナイトの奴、こんなにクアールたちに懐かれているのだ。甘噛みとかもふもふとかしてるではないか。うらやま……もとい、馬鹿っぽくてざまみろ。
「6匹いるのでな、パーティがひとつ組めるな」
ちなみに六つ子だ、名前はプックル・ボロンゴ・ゲレゲレ・チロル……、と、陛下は仰る。
「陛下……その名前、とってもキラーパンサーです……うごっ!」
「異界のことなど口にするでないぞ、ダークナイトよ。わかっておるな?」
「はあ……」
ダークナイトは陛下の魔力をくらった顎をなでている。仔クアールが一匹、ダークナイトの頭からすべり落ちて他の一匹にぶつかり、鳴いた。
「安心せよ。もしお前がプックルたちにじゃれつかれ、ブラスターをくらうことでもあったら、だ――」
陛下はゆるりと振り向かれ、このうえなく麗しく、ゆーっくりと、唇の端をつり上げた。
「地に額をつけてひれ伏すが良い。余が直々に、ホイミを唱えてやろう」
……はるか地平線のあたりで再び雷雲から稲妻が走り、空の鳴る音が大気を満たした。