別館「滄ノ蒼」

夜ノ焚火

 

 みるみるうちに、積み上げられた食物が平らげられていく。
 マリアは唖然として、塩漬け肉の塊やスープや燻製が男どもの胃に収められるのを眺めていた。

 フリオニールとガイの手がめまぐるしく動いて、焚火の上と口との間を行き来する。口に入れたそばから咀嚼し、飲み下す。串をまわし、肉をむしって噛みちぎる。鍋をかき回し、汁をすすってうまそうに目を細め、息をつく。がつがつと音がしそうな威勢の良い食べっぷりだった。
「マリア。スープ、こぼれそう」
 口に運びかけたままだった匙の中身が、ほとんど冷めてこぼれかけていることを指摘されて初めて気づき、マリアはあわててそれを口に含み、飲みこんだ。椀にも口をつけ、傾ける。
「よく食べるわね、二人とも…」
 小さくため息をついたマリアは、まるで食べるのが三日ぶりででもあるような様子の兄弟たちを見やった。
「だって、こんな食事は久しぶりじゃないか」
 口のまわりにミルクの泡をつけたまま、フリオニールは答える。
「だいたい明日はフィン城攻めだろ?食べなきゃ持たないぞ」
「マリア。串、取って」
 急いで金串を渡すと、ガイはパンを刺して火であぶりはじめた。
 フリオニールはすでに、次の鍋に取り組んでいる。ふつふつ音を立てている煮込みを杓子でかき回すと、あたたかな匂いが立ちのぼった。そのまますくい、ふうふうと吹いて、音をたててすする。
「あちぃ!」
「もう!あわてるからよ」
 マリアが葡萄酒の皮袋をわたすと、顔をしかめて舌を出したフリオニールは、あおるように中身を流し込む。
「総攻撃の前の振舞いだって言うんで、これだけ食糧が配られてるんだ。食べなきゃ損だ」
「それに、うまい」
 もぐもぐと一心に食べ物をほおばる男二人を順番に見やって、マリアはまた小さく息を吐き、陣の外の宵闇に視線を投げた。

 壮麗さを謳われるフィンの城が、遠く川向うの森の影から頭を出している。
 その上空の雲が、ほんの少しだけ明るくなっているように見えるのは、城で焚かれている篝火を反映しているのかもしれない。
 ―あそこを占領している帝国兵や魔物も、今頃は夕餉をとっているのだろうか
 …否、そもそも彼らは食事をするのかしら、などとぼんやり考え、再びフリオニールに視線を戻すと、彼が笑いかけてきた。
「みんながこれだけ食ってるんじゃ、おそらく食糧隊の荷車はほとんど空のはずだ。こりゃあ、何がなんでも明日の夕餉はフィン城の食糧庫を開けなきゃいけないな」
 で、それができるかどうかは俺達にかかってるわけだ、と言って、フリオニールはガイに片目をつぶってみせる。
「フリオ。鍋の底、こげてる」
 巨躯に似合わぬほどの手際の良さで串をまわしながら、ガイは冷静に返した。立ち上がり、次の肉をもらってくるために歩きだす。
 フリオニールは、あわてて鉄鍋を火から持ち上げ、地面におろした。
「あちぃ…」
 のんきに手首をふっているフリオニールの様子に、マリアはなんだか気の抜けたような気分になって、今度は盛大にため息をついた。
 自分も食べることに集中しようと決心して、煮込みを椀にすくう。
「食べないの?やけどしてたらケアルは自分でお願いね」
「なんだよ、冷たいなあ」
「だって魔力を明日にとっておかなきゃ。魔法を使うとおなかがすくし」
「俺だって剣を振るから腹が減るんだけどな」
 どさり、と音をたてて大きな体が隣に座ったので、緊張感の欠けたやりとりは中断された。
 ガイはナイフを取り出し、しめたばかりと見える野兎の皮をはぎはじめる。
「ガイ、なんだそれ?食糧隊は兎をそのまま配ってるのか?」
「みんな、すごくたくさん、並んでた。だから射止めてきた」
「早いな」
 微妙に抜けた問いにもガイはまじめに答え、ついでに取ってきたのだろう草を兎につっこむと、塩をふって串刺しにし、火にあてる。

 沈黙が下りた。
 炎が揺れて、三人の顔を明るく照らし出している。たき火のぱちぱち爆ぜる音が急に大きく聞こえ始め、夜がひときわ深く、冷え込みを増したように思えた。

 ―ここに、兄さんがいれば。

 こういう時には、どうしてもそう思ってしまう。兄がいれば、こんな夜でも楽しいのだろうと。ぼんやりした不安も、会話のとぎれる瞬間も、ふいにのしかかってくることなどないのだろうと。
 …そうか、きっと私たち兄弟だけで何度も狩りにでた、あの頃のことを思い出してしまうんだ。四人で火をかこんで、冒険気分にわくわくしていた、幸せなころ。

「…なんか、さ。思いだすよな。村でのこと」

 フリオニールの声に、マリアは鼻の奥がつんとしたのを読み取られたような気がして、どきり、と顔をあげた。
「こっち側にレオンがいてさ、狩りの作戦立てたり獲物の皮をはいだりしてさ」
 刃の手入れ道具を忘れただの、さっき射止めたこの獣はどうやったら食えるんだだの、わいわい笑いあいながら、兄を中心に兄弟は他愛ない話をしたものだった。
「…レオンハルト、教えてくれた。獣の狩り方も、雨の中で、火、消さない方法も。フィンの都の話も」
 別世界としか思えない、華やかな街のざわめきの物語も、思えば兄が教えてくれたのだった。父に従ってのぞきこんだ店や横目で見やった馬車の話を。
 その都は今、川と森の向こうで、甲冑と魔物のうごめきあう音の中に沈みこんでいる。
「兎のさばき方も、教えてくれた」
 じゅわじゅわと香ばしい音をたてはじめた兎肉からしたたりおちる脂の受け皿を串の下に押しやって、ガイは言った。
「ああ、村一番の狩人だった。あいつの剣は本当にすごかった。…だから無事でいるさ、きっと」
 兎の脂に焦げ目のついたパンをひたしながら、フリオニールが応じる。
「明日の戦いが勝って終われば、今までよりもっとたくさんの情報も―仲間や町の情報も、きっと耳に入ってくるようになる。その分、あいつのことも探しやすくなる。だから俺たちは明日の戦いに生き残る―いや、勝ち残る。それだけだ」
 脂でやややわらかくなったパンを口に放り込む。それを噛みながら兎肉をナイフで切り取り、それも口に入れる。唇についた油を手の甲でぬぐい、残りのスープを鍋ごとかかえあげて全部ごくごく飲みほすと、フリオニールは言った。
「―だから食べろ、マリア」
「食べてるわ」
 マリアは、鍋からすくった杓子をそのまま口にあてた。
 とろりと熱い湯気が頬をあたため、まわりでは、兵士たちの、談笑しつつ勇み立つさざめきがたゆたっていく。
 体の奥からふつふつと温かさが広がり、戦いに赴く準備が自分の中で整っていくのを、少女は感じていた。

 ―再び目をやれば、黒々とした森の向こうにフィン城のもっとも高い尖塔のシルエットが浮かんでいるのが、遠くのぞまれた。

「この兎を片付けたら、早く休みましょうね。今晩はけがや胃もたれしないように気をつけること!明日の戦いまで、ケアルは使ってあげないから」

(2010.1)