「よくやるねぇ…」
まがりなりにも一国の王とは思えんぜ、と毒づきながら、その王と同年の賭博師は紫煙を吐き出した。
「王だって?何を言っているんだい君は。俺はジェフだよ、七つの港町でのお尋ね者にしてあらゆるレディ達の目を奪う、大盗賊団の頭目のジェフさ」
芝居がかった動作で手を広げてみせた相手は、黒っぽく染めた髪が頬にもつれかかるのを指先で払うと――それはもう、あいかわらず嫌になるほど優雅に、自信たっぷりに――、ファルコンの欄干にもたれてゆったりと腕を組んだ。
身にまとうマントを吹き飛ばそうとするような風の奥底はまだまだ冷たく、うすら赤黄色っぽいペンキをたっぷり刷毛につけてこすりつけたような雲が、空一 面を染めている。眼下の灰茶けた荒野はぐんぐん後方へ流れていき、途切れることがない。はるか向こうの稜線はまったく動かず、近づいても来ず、いつまでも どこまでも、不毛の地面が続いていることを示している。
セッツァーは煙草を口に運びながら、片手をゆるく舵にそえていた。濁った色の空とくすんだ色の地面の境目を切りさいていくファルコンの、甲板の上で吹きすさぶ風に目を細めながら、ちらりともう一人の男に目をやった。
「――どう見たって雰囲気がやんごとない御方だぜ。アンタは目立つんだよ、『ジェフ』」
「客の氏素性などいちいち聞かずに、艇の操縦に集中してくれたまえギャンブラー殿。野暮はレディに嫌われる元だぞ。いいか――」
レディとか言うのはどこぞの王様だけだぜ、などとまぜっかえす賭博師を無視して、「ジェフ」は大げさに手を広げてみせる。
「今、このファルコンは『ただの仕事』として『ただの盗賊』を乗せているのだ。たまたま『ジェフ』でなければ手に入れられない情報がニケアにあって、たま たまそれを乗せているのが君だというだけの話さ。相客として沙漠の某国の内務長官が乗り組んでいるのも、そして彼が、抱えてきた書類を押しつけるべき王を 見失ってしまうのも――」
ごう、と風が吹きぬけるのにあわせて、「ジェフ」は盛大に口の端をつり上げた。
「――あくまでも『ただの偶然』だ」
「へいへい」
セッツァーはひらひら手を振ると、くくくッと喉の奥で笑った。
「気の毒な内務長官様には適当なことを言っとくぜ。明日の昼までは客間から出られねぇようにな」
「話の早い船主で、全くありがたい」
俺が戻ったら、お前にはその王から一杯おごらせよう――などと言いながら「盗賊」は広い肩をすくめ、優雅な動作でとり上げた剣を腰にぶちこむ。歩きだしかけたところで、無頼漢の笑顔で船主を振り返った。
「もしもだ、セッツァー」
「…何、企んでやがる」
「ただの盗賊が一匹、この艇に乗り込んでいることも――そしてそいつが、この艇の停泊先でブラックマーケットに向かうことも、薬の売人と接触することも――内務長官はもちろんだが、もし美しいレディたちに少しでも知られるようなことがあったら、だ――」
「セリス達のことか」
青玉の目が実に楽しそうに細められる。
衣装を替え、髪を染めてもその色だけは変わっていない。
「――ファルコンの壁紙を全部、ピンクの小花模様にしてやるからな」
「…あのな」
げんなりした口調で、セッツァーは新しい煙草に火をつけた。
舵は、向きを固定して、もたれかかる肩全体で押さえている状態になっている。ファルコンの大きさからすると意外なほど華奢な造作に見えるが、このところようやくそれは賭博師の手や肩になじんできたようで、着陸したときなどに軽くなでているのをエドガーは知っていた。
セッツァーの吐き出した煙はどんよりとたれこめた雲にまぎれ、飛び去った先で消える。
「いまさらながらお聞きしますがね、陛下。なんで『ジェフ』が行かなきゃいけねぇんだ?情報集めだったら、それこそドロボウにでも任せりゃいいだろうがよ。そっちの業界の奴なら俺が行ったっていいんだ。さすがにお子様だの爺様だの雪男だのを寄越せとは言わねぇけどよ」
王様ってのは忙しいんだろうが、とっとと仕事して寝ろ、と賭博師は毒づいた。
朝早くからファルコンを飛行させられたあげく、目的地に着いても艇内に留め置かれるのが面白くないらしい。
「理由はいくつもあるな」
そう言いながら、青い眼は人を食ったような笑みを浮かべる。
「一つめ。我らがドロボウ殿は、ゆうべの戦闘で負傷したばかりだということ。傷はふさがっているが出血がひどかったからな、休息して体力を回復せねばならん」
「お前が仕留めそこなった魔物をやろうとしてすっ転んだんだろうが、奴は」
「その通り」
本当は魔物に反撃されたのだ。
「ま、看病とか言ってセリスがついてるんだから願ったりかなったりだろうがな、あいつは。――だからってお前、わざわざなんで黙って出てくんだっつの」
「それが二つめ。ロックの怪我の原因はこの俺なわけだ。名誉の負傷を負った奴を横目に、元気に俺が出て行けば、セリスは勇敢にも奴を置いて俺についてこようとするか、それとも俺を恨みながら奴についているべきか悩むだろう。あの美しい眉をかげらせるのは見るに忍びない」
「お優しいこって」
ちちち、と気取って指を立てる仕草は、あいかわらずやたらと様になっていて、忌々しい。
「三つめ――」
「はいはい」
「これはあまり大きな声では言えないんだがね」
「なんだよ」
エドガーはわずかに顎を引き、声を低めた。
「くだんの情報を持っている薬の売人というのは、どうやら『人買いのケイン』らしいのだ」
「…げ」
「お前とはお互いに顔を合わせたくない名だろう?――おまけに俺は少々面識がある」
「うげ」
「まぁ、顔見知り程度なんだが」
なんでそんな奴を知ってんだよ、と口の端をゆがめた相手に、仕事だよ、とエドガーが返す。「どっちの仕事だよ」と言って顔の半分を派手にしかめたセッツァーは、上に向かって煙を吐き出した。
「全く、 類は友を呼ぶ ってのはお前のことだな。ろくでもねェ奴ばっか周りにいやがる」
「自分でもそう思うよ。君という友人、いや知人を筆頭にね」
「あぁ?俺の友人、いや知人には女ったらしの盗賊の頭などいやしねぇんだがね」
「俺だって、オペラ女優をさらいそこねた賭博師など知人に持った覚えはないよ。『ジェフ』だからね」
エドガー、否、「ジェフ」は欄干にもたれなおすと足を組みかえ、髪をかきあげた。
「目下のところ俺にとって君は、ただの宿主の、運転手の、交通手段の、ヤクザ者の、ロクデナシの、ニコチン中毒の――」
「どこまで続けやがる偏執狂野郎」
「ただの元ギャンブル場オーナーには俺がどこに行こうが関わりのないことだから知らない顔をしていろと言っているのだよ。――わかったらさっさと目的地に客を運びたまえ、運転手君」
「もう着くっての。黙ってねぇと舌噛むぜ、通りすがりのお客様よ」
薄暗さを増していく濁った空から、埃っぽい風が吹き下りてくる。
横風に機体が煽られないよう注意しながら、賭博師は力任せに舵をきり、着陸態勢に入った。
(2010.4)