家庭のにおいがする。
竈の薪がはぜるにおい。その上にかけられた鍋のスープが煮立つにおい。
壁にかかった革のダガーベルトのにおい。それに塗られた油のにおい。
だけではなく、薪の熱さ、湯気の湿度、灯りの色。
そこに吹き込んでくる、まだ浅い浅い春の、つめたい夜気。枝にひっそりと咲いた白い花の気配。ひとの、体温。
「おかえりなさい」
「たーだいま」
手を伸ばして彼の頬に触れれば、冷えている。
関節のめだつ器用そうなゆびさきがセリスに近づき、そっと前髪を払った。
「これ、安かったから買ってきたぜ。血抜きはしてあるみたいだから」
「あら、水鳥? 珍しいのね」
「うん。羽根、むしろうか。たぶんこれ、油なしで焼いてからトマトとチーズを煮詰めたのをかけるやつだ。美味かったぜ」
「そうなのね。チーズが入るレシピ、多いわよね、北大陸の西あたりだと」
「そうねー、フィガロ領って言っても飛び地だしな、あそこ。保存しやすいものに加工して、吊るしとくことが多いんだって。……って、そういや大丈夫か? 肉の匂いとか」
「ありがとう。平気だと思う」
当たり前に、あの村で覚えたレシピの話や家事仕事の話をするようになって、もう数年経った。今はそれらの話が、二人のくらしをあちこちで支えてくれている。玉葱は涼しい所に吊るしておくものだとか、親子でなくても一皿の料理を分け合って良いのだとか、ささやかで様々なこと。
ぽつぽつと、ロックは帰り道で見たものの話や先日行った遺跡の話などを取り留めなく口に出す。腰をおろして、水鳥の羽をむしりながら、時折かまどの火をかき立てる。
炎をみつめる横顔は、あの旅の途中、キャンプをつくっていたときと変わっていない。闇の深いところをのぞき込むみたいな色が瞳にさしていて、目尻が鋭い。でも、セリスを見て笑えば、くしゃりと柔らかくくずれるのだ。
火の色が、そんな横顔を照らしている。じっと見ているセリスの視線に気づき、榛色の目がこちらに向いた。光の具合で、明るい茶色っぽかったその色が、かすかに緑みをおびる。
「……あ、腹減ってる? 行こうか」
ロックはセリスの手をとって引き上げ、立たせてくれた。
私はこのひとがすきだ。
私はあのひとを愛したことがある、誰かと優しくしあうことを知っていた、そうするやりかたを教えてくれた、このひとがすきだ。
たとえ、なにかをふいに思い出して暗い目をすることがあったとしても、なにがあったのかを言葉にしてくれる。
たとえば私が、悲しくて苛立たしくてうつむいてしまっても、言葉にできるまで隣にいてくれる。
それを私は知っている。わかっている。信じているから。
――ねえ、ティナ。
私ね。
ひとを、愛することができるの。