Alltagsleben
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ニケアの街を、冷え冷えとした風が抜けていく。
だが、その一部はあたたかい。露天の食物の匂いと湯気をたっぷり含んでいて、エドガーとティナの視線はあちこちに惹かれては戻ることを繰り返している。
ジャッ、ジャッ、と、小気味よく、炒め油の音が跳ねる。ティナは鉄板の上の麺が湯気をあげながら色づいていくのを眺め、襟元に吹き込んでくる風に首をすくめては、エドガーの隣にたたっと小走りに追いついていく。
砂糖と粉が焼ける、甘い匂い。鋳鉄の焼き型から、鮮やかな手さばきでくるくると外されていくのは、丸っこい一口サイズの焼き菓子だ。ちょっと目を見開いてそれを見ていたエドガーは、ティナが首をすくめるのに気づいてマントをかけ直してやり、彼女の歩幅に合わせてまたあるき出す。
「安いよ安いよ、お兄さん、寄っていきな!」
「そこのお姉さん、チュロスはどうだい? 見てってよ!」
「この揚げ鳥の串、2つ買うから値引きして!」
「3つならいいぜ、33ギルを30ギルだ!」
喧騒、雑踏。うかうかしていると、すれ違う人びとと肩がぶつかってしまう。ダンスをリードするように、エドガーはティナの手をエスコートして、船乗りらしく腕をむき出しにした男の脇をするりと抜けた。
続けて、旅商人らしく荷物を抱えた男の横を行き過ぎる。なめらかに数段の階段を降りると、にこりとして細い手のもちぬしを振り返った。
「持ち帰るのは何にしようか? ロックとセリスは、もう戻っているだろうかね」
「そうね」
ティナはすこし声を張って、気持ち伸び上がるようにして、エドガーに応えた。
「そうね……きっと、もう戻ってスープか何か作っていると思うわ。二人が行ったのは森のほうだから、食べるものなんかは買ったりしていないと思う」
「そうだね、俺もそう思う。あの二人なら、無事に帰ってきているだろうが……寄り道の時間は、なかったろうな」
「いくつか買って帰りましょう。すこし豪華なごはんになるわね」
二人は目を見合わせて笑顔になり、何が良いかどれにしようか、話しあいはじめた。
雑踏、喧騒。また、油の匂いが風に運ばれてくる。じゅわじゅわと粉が揚がる甘い匂い、じゃ、じゃっ、とソースが焼ける音、吊るされた暖色の裸電球のいろ、客を呼び込む威勢のいい声。
今度は屋台に目を引かれても、慌てて振り切ることはなく、笑って連れを振り返るのだ。
外はカリッと、中はトロっと焼かれた粉ものはどうか。そうね、中身は大きなのがちゃんと入っているやつかな。
串に交互に刺して焼かれて、とろりと甘くなった野菜とこんがりした肉はどうかしら。いやいや、あれは何の肉だかよくわからないぞ。
吟味しながら、軽く言い合いながら、二人は人波をぬけていく。相変わらず円舞曲のリズムでフロアを辷っていくように、人にぶつかることなく、なめらかに手を取り合って。砂糖の焼ける甘い匂いが流れていくよりも、素早く。
すこし、抜けていく風が色づいた。相変わらずつめたいけど、暖かないろでふたりを包んだ。そんな気がした。
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やぶの間には、ぽつぽつと赤い実がなっていた。
ロックがそれを見つけたのは、探索から帰る途中のこと。やぶを見つけて分け入っていき、笑ってセリスを振り返ったのだった。
「セリス、見ろよ! これ、ベリーだ。すこし摘んで帰ろうぜ」
「わあ、本当ね。どうやって摘んだらいいのかしら?」
「簡単簡単、ここを、……ほら」
「あ、そうするのね……」
ベリーをハンカチに摘みながら、セリスはつぶやく。
「どれくらい摘んで帰ったらいいかしら。エドガーとティナは、まだ戻ってないわよね?」
「そうだな……」
ロックは耳ざとく、セリスの言葉を聞き捉えて応える。
「そうだな、あいつらが出かけたのは街の方だから、いろいろ見て回ってるんじゃないかな。ニケアの露店といえば、いろんな食べ物の品数が多いって有名だし」
「そうなのね。……すこし、見てみたかったな」
「また今度、行ってみようぜ。機会はあるさ」
「ええ」
ちょっと寂しそうな背中を、ロックは軽くなでた。ひょいと肩を抱き寄せる。
「なんだよ。そんなに、露店に気が惹かれてるの?」
言って、セリスの頬に軽く唇をよせた。ちゅ、とちいさな音がたつ。
「それよりさ、俺、せっかくこのベリーを見つけたのに。摘もうぜ」
白金の横髪に鼻先をうずめて、戯れる。耳朶に唇で触れて、ピアスを軽く咥えてみたり。背中の線をそっとなぞり上げたり。ベリーを摘もうと言いながら、摘んでいる間がないのである。軽く触れるだけのたわむれに、セリスはくすぐったそうにくすくすと笑った。
「ベリーを摘むんでしょう? 離してくれないの?」
「だーめ。露店のこと、諦めるまでやめない」
「もういいのに。エドガーとティナにまかせるわ」
「そんなこと言ってさ」
ロックはすねたように、セリスの肩を抱く手に力をこめ、引き寄せた。同時に、淡い桃色の唇をふさぐ。
「ん……っ」
お互いにやわらかく喰みあい、角度を変えてもう一度、今度はセリスから求めた。彼女の肩を抱くのと逆の手は、するりと裾に忍び込む。器用な指先が脇腹をなであげると、セリスの肩が、びくりとはねた。いたずらな指も、ぴくっと止まって引っ込められる。そっと、唇が離された。
「……痛かった?」
「……いいえ」
ふる、と横に振られた細い首、淡い蒼の目が、名残惜しそうに潤んでいる。それを見て、榛色の瞳は内側に熱をはらんだが、意志の力でそれを押さえつけ、視線を外す。頬にもう一度軽く唇をあてて、身体を離した。
「……ベリー摘んで、帰るか、セリス」
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夜が更けていく。
四人は他愛ない話をしながら食べ物をつまんでいたのだが、うつらうつらとしはじめたティナに皆は視線を向けて、小さくうなずきあう。
「ティナ、もう休んだほうがいい」
「そうね、私もすこし疲れたわ。そろそろ休みましょう」
「片付けとか、気にしなくていいぜ」
「ん……」
重そうなまぶたを擦って立とうとするティナ。それを軽く手で制し、エドガーはすっと立ち上がった。
するりと彼女の背中と膝を掬い、抱き上げる。
「それでは女子部屋まで、レディをお送りするとしようか」
「頼むわ、エドガー。私もすこししたら行くから」
「任せておきたまえ」
ぱちりとウインクすると、エドガーは踵を返した。ロックは視線だけで見送ると、テーブルを片付け始める。
「セリス、お前ももう寝るの?」
「そうね、片付けたら……」
「なんだったら片付け、引き受けるぜ。疲れてるだろ」
「大丈夫よ、ありがとう」
「ほら、そういうとこで無理するからさ、お前」
「無理、してないわ。本当よ」
「そう? ……とりあえずさっさと終わらしちまうか」
「そうね、あなたも早く休んで。朝、早かったんだから」
言い合ううちに、手際よくテーブルは片付いていった。セリスは台上を拭き、ロックは皿に乗った残りをまとめて戸棚にしまう。終わったね、と目線で確認し合うと、肩を並べてひっそりとほほえみあった。
ふいに、ロックはセリスを見つめて、言う。
「セリス、ちょっとここ立ってみて」
「え?」
目を瞬かせて、セリスはその場で居住まいを正し、気をつけの姿勢をした。
「こう?」
「そうそう」
「どうしたの?」
「ちょっと、そのままな」
言うと、ロックはセリスの背中と膝を掬い、よっ、と抱き上げた。
「きゃあ!」
「うん、いけるいける」
驚いて身をすくめたセリスは、早々に解放される。そっと脚が降ろされ、とん、と靴が床につく。
「……ああ、びっくりしたわ。何?」
「やー、何でもないよ。冗談」
「?」
髪を直しながら、セリスは首をかしげた。
先ほどエドガーを見送ったロックが、すこしじとりとした目をしていたのには、気づいていないのである。
「でもロック、すごいわ、私を持ち上げられるのね。……重くなかった?」
「平気だって、へーきへーき、軽い軽い」
すこし唇をとがらせて意地を張る彼の心は知らず、セリスはふわっと目尻を下げてくすくすと笑った。
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エドガーは細い身体を、ベッドにそっと紳士的に下ろした。
彼女が両腕を持ち上げてリボンを解くと、翠の流れが肩先に流れ落ちた。細いゆびさきが髪をすいているそのしぐさに、思わず目を細めて見惚れた。ティナはこちらの視線には気づかず、そのままもこもこと掛布にもぐりこんだ。幼気に柔らかく盛り上がった布団のかたちに、おもわずふふっと笑みが溢れる。すると、控えめに裾が捉えられた。
「……もうすこしここにいて、エドガー」
「おや、それではこの足元に腰掛けるのを、許してくれるかい」
「ええ」
言って、ティナは掛布から片腕だけだして、エドガーの手を取った。
ほそくてすんなりしたちいさな手と、骨ばった大きな手が重なる。すこし冷えていた手と、おおらかでおだやかな、温かな手。たいらかに温度がなじんでいく。
きゅ、と、握り合う手と手に、力がこもった。
「あたたかいわ。……あなたの手、あなたの体温」
「……ああ、君も」
にこりと笑って、みつめあった。
「このままずっと、いられたらいいのに。あなたの体温を、感じていたいわ」
言葉を紡がなくても、手のあたたかさが繋がり合っている。エドガーは手の中のティナの温度を、そっと持ち上げて唇をあてた。
こつこつとささやかに時を刻む時計の音だけが、響いていた。
□
「おかえりー……って、なんでこめかみ押さえてるんだよ、エドガー」
「いや、何でも……」
「なんか、お前がそんなにうろたえてるの珍しいんだけど」
「狼狽えてなどいないさ……知らないというのは恐ろしい、それだけだ」
「え、何何?」
「こちらの心を、かき乱してくるものだ……」
「あー……察した」
「話が早くて助かる。全くどれほど我慢していると」
「お互いにな」
「お、何だ? セリスのことかい、ちょっと詳しく聞こうじゃないか、ん?」
「待って待って、いやいいから。近い近い近い」
「さあ言うんだ、言ってすっきりするがいい、惚気るがいい」
「お前の方こそじゃないのかよ」
「俺は惚気などしないのさ。彼女の美しさ愛らしさならいくらでも語るがね」
「俺だって惚気じゃないですー、事実を述べてるだけですー」
「よしじゃあ詳しく言え、その事実とやらを」
「いやお前が先に言えって……近い近い近い」
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セリスが掛布をめくってもぐりこむと、ティナは身じろぎして、目を覚ましたらしい。夜の空の色をした瞳が、ひたと淡蒼の目に視線をあてた。
「セリス、すこし冷えてるわ。もっとこっちに来て」
「そう? ……温かいわね、布団のなか」
「ふふ、くっついちゃいましょう。手も、こう、繋いで」
「ティナの手、温かいわ」
「セリスの手、ちょっと冷たいわね。……水仕事、した?」
「少し、ね」
「ごめんなさい、わたしが寝てしまったからね」
「いいのよ」
ささやきあいながら、ティナはセリスの手を、きゅ、とにぎった。
冷えたながい指が、ちいさなてのひらの中で、つつましく揃えられる。
「ティナの手、本当に温かいわね」
「さっき、エドガーにあたためてもらったの」
「えっ?」
「こうして、握って」
「ああ、」
ほう、と息をついて、セリスはティナの手を握りかえした。
「ねえセリス」
「なに?」
手をにぎりあって、額をくっつけて、布団のなかでまるまって。ほろほろと解けていく。声も、手も、あたたまって。
「セリス、ロックといて、しあわせ?」
「……どういうこと?」
「わたし、幸せよ。エドガーと一緒にいて。手を触れたり、肩を寄せ合ったり。となりを見上げたら、あのひとの横顔があるの。歩き疲れていないかい、少し休もうか、って言う声が、思ったより静かだなあって、思うの」
「そう……そうね、幸せよ、私も」
「良かった。以前のセリスはいつもどこかつらそうだったから、心配だったの」
「幸せよ。しあわせで、つらい。今も」
「つらい? どうして?」
「触れる手の大きさとか、あたたかさとか。肩の大きさとか。隣を見たら、あのひとの横顔があって、顎の線がきれいだなあだとか、思って。もっと近づきたいって、触れてみたいって……それが、つらい。ぎゅうっとなるもの」
「そう、……そうね、ぎゅうっとなるわね。つらいわよね」
きゅっと手を握り合う。目を閉じて、ひとつの布団のなかで、二人は寄り添いあった。
「つらいわよね。わたしたち、しあわせで、つらい」
「そう、……そうなの、つらくてしあわせで、暖かくてさむくて。すきなひとが隣にいるのに、ずっと遠くに立っているみたいで」
「ええ。……そうね。そうね、……隣りにあのひとがいるのが、触れ合うのが、しあわせで切ない。うれしくてたのしくて、くるしいのね」
互いの手を握って。ひとつの掛布のなかで温まりながら、ぽつぽつと語らった。
ささやかにこつこつと時を刻む時計の音が、心臓の音と重なりゆく。
温まっていく掛布のなかで、言葉は溶けていった。
とろとろ、眠りに落ちていきながら、お互いの世界がお互いだけになる。
(2023.1.14)
FF6ウェブオンリーにて公開、ティナセリ幸せになれ…