別館「滄ノ蒼」

6月13日

 最近とみに祖父が老けた気がする。
 少女がそう言うので、あらためてエドガーはストラゴスに注意を払うことにした。

 正直な話、かの翁はこれまで、エドガーにとっては「リルムの保護者」であって、それ以上でもそれ以下でもなかった。飛空艇なりどこなりの背景に同化し て、例のタテガミのごとき白っぽいタテガミが揺れていれば、ああストラゴスがいるな、と思う、その程度だったのだ。申し訳ないことに。いや、はっきり言う と申し訳ないとも思っていないが。
 (根っから陽性のこの王にとって、博覧強記で口やかましくフィガロ国民でもなく、おまけに男性であるストラゴスは、どの方面のストライクゾーンにもひっかかりはしない。そしてその必要も必然性もない。)

 ……改めて言われてみれば、元魔物ハンターの翁の様子は少々精彩に欠けるように思えた。
 話しかければ応じるし、モンスターの生態など問えば相変わらずの蘊蓄を披露する。食べる量は変わらないし、魔法は以前にもまして冴えているほどだ。
 ――だが。
 廊下に出たとたんにため息をつく、ふと気がつけばどこやら宙を眺めている。
 リルムが話しかければいつもと変わらず少しの説教をし、結局最後には「仕方ないのぉ」と甘く、……そしてまた、下を向いている。
 原因はなんだろう。
 ファルコンの回廊を半周もしない間に、エドガーはその推測にたどりついた。
(おそらく、ヒドゥンだろうな)

 回廊の手すりにもたれて見下ろせば、ホールはずいぶんと明るく、広い。
 スピードを追求したという前の持ち主の考え方を反映して、ファルコンはどこのスペースを見渡しても、いっさい無駄という無駄がきりつめられた空気をま とっていた。いらぬ装飾品や余計な家具がないのはもちろんのこと、照明やドアのデザインひとつすら、簡潔明瞭とはこのことか、と言いたくなるほどだ。
 だが、殺風景なわけではない。
 最低限の家具として置いてあるカウチなどは、ずいぶん細部に凝った上質なものだし、夜になれば天井からは十分な明るさの光が投げかけられる。
 どんなに佳い女性だったのだろうな、と前オーナーに思いをはせながら、エドガーは艶やかな手すりをなでた。

(――ヒドゥン、だろうな。あれを討伐して気が抜けたんだろう)

 追い続け、思い出してはあきらめきれず、ことあるごとに幻影を振り払ったのだという。
 恋々と思い描き続けていた、そんな存在を討伐してしまった――というのは、こうなっては良かったのか悪かったのか。
 リルムもおそらくそう思っていて、こっそりとエドガーの袖を引っ張ったのだろう。
 人に甘えることはあっても案外頼ることは少ない絵師の少女が、自分を頼ってきたという事実にすこし口元がゆるみそうになったのを、急いで引きしめた。
 時期はちょうど、盛夏に向かおうとする季節だ。
 くだんの翁の誕生日はいつも、訪ねて来たガンホーらと、祝いと答礼と毒舌とを投げ合っていたらしい。今年はそれと全く同じというわけにいかないが、祝いの席を設ける提案を皆にしてみよう。
 


         *



「おめでとうございます」
 いやに優雅かつ慇懃に声をかけられ、ストラゴスは眉をしかめて振り返った。
 目にとまったのは、水の青。どこだかの国主を務めている青年が、ご丁寧に礼をとってやわらかな笑みを浮かべている。
 じろり、と見上げると、ストラゴスの目はまんまるくなって、豊かな眉毛の中に猫目石が光っているような印象になる。
 それをけげんな表情と受け取ったのか、青年王は笑みを絶やさないまま言葉を重ねた。
「翁、聞けば本日はお誕生日であられるとか。未来の義孫として、謹んで祝いの席を設けさせていただきたく」
 青魔導士は小鼻をふくらませて、「翁と言うなイ」と返した。
「だいたい、さらっと言うたが義孫とは何ゾイ、若造め」
「おや、違うのですかな? 婿のほうが宜しいか」
「そういう問題ではないわ」
 見上げる猫目石の光が、鋭さを増した。
 知らない者が見ればずいぶん剣呑な視線だが、白眉に強調されてそう見えるだけで、さらに言えば明らかにそれが和らぐのは孫娘の前でだけだ、とは余人の知るところだ。
 だからエドガーも、一人の青年が一人の先達に対するのと同じに、肩をすくめて――平然と、軽口すら投げかける。
「おや、ストラゴス。ならば申し上げましょう、あなたが常々仰ることに沿えば、確かに『翁』は失礼した。ですがね、俺を『若造』と仰いましたか、それは翻ればご自身の年の功をふりかざすことではありませんかね」
「単純に、年齢と言われる年数を算術的に相対比較しただけゾイ、お主はおぎゃあと落ちてたかだか30年じゃろうが、儂の2分の1じゃろうが」
 言いあいながら、二人は並んで歩きだした。
「俺は28です。そして2分の1よりだいぶ少ないです。ちなみにそこから導く計算結果は約5分の2です」
「まったくどこから阿呆な論理がぽんぽん出てくるか不思議なものじゃゾイ。イチャモンのつけ方でも今になってお主の政敵から学んだかの、――奴はもう死んでしもうたが」
「いえいえ、どこぞの皇帝よりも目の前の術士どのから大いに学んでおりますよ、そしてあなたの孫どのからもね。遠慮なく小気味よくぽんぽんと言葉と魔力を投げ出す。実に良いですねえ」
「人のことを言えたものか。――リルムの口の悪さに拍車をかけてるのはお主だな。教育に悪い」
「いえとんでもない、俺は彼女に教育的指導ばかりしてるのです。口の悪さは間違いなくあなたに育てられたからですよ、ご老体」
「言うなと言っとるゾイ」
 ストラゴスは再び、小鼻をふくらませてエドガーを見やる。
「で、お主が祝いの席への案内役なんぞ務めているということは、お主の仕切りかの。祝い幕なんぞの内容によってはグランドトラインを覚悟しておくがよいゾイ」
「飾り付けを取り仕切っているのはリルムですよ。――どうぞお入りください」

 エドガーは今一度丁寧に礼を取って、広間の扉を押しあけた。
 先月、モグが白い毛並みにさまざま飾り付けられていた、一段高い誕生席には、やわらかなクッションがいくつか重ねられ、誰が出してきたのか瀟洒なデザイ ンの燭台やトレイが前に置かれている。椅子の横には絵師の少女が腰に手をあてて立っていて、少し唇を尖らせて祖父を迎えた。
 近づいて行ったストラゴスはリルムに向かって、おそらく少々の小言を――行儀が悪いだとか何だとか、くれたらしかった。
 主役の登場により、広間は一気に活気づく。
 エドガーはそっとリルムを後ろから引きよせ、「お小言かい?」と言った。
「ここに来るまでの間、俺もずいぶん喰らったよ。気分が少しでも浮きたってくれたせいならいいんだが――いや違うだろうな、君の話を出したとたん、だ。まいったなあ、あれほど口喧しいとは」
「……さっきから急に、だよ」
 ありがとね、と小さく少女はつぶやく。
「やー、ジジイが口数少ないとさ、あたしも調子狂うんだよねー」
「……それは幸甚」
 ごく短いやりとりと、大きな手がぽんと巻き毛の頭に置かれるだけで、二人の意志は通じた。
 クラッカーが鳴らされ歓声が上がり、いつのまにか祝祭は始まっている。



「そういやストラゴス、さっきからちょいちょい下向いてるよな? どうしたんだ?」
「よくぞ聞いてくれたゾイ。……ここしばらく、少々痛くての。……情けない話じゃが、ウオノメが」
「……ウオノメ??」
「……」

 

 

 

「夏山に恋しき人や入りにけん