別館「滄ノ蒼」

2,リース

 出窓の枠は、リルムがぴったり座り込める広さだ。
 ガラス越しの外では、小雪がかすかに舞っている。風がそれなりに強いらしく、白い粒が向きを変えては横に吹き飛び、次の瞬間にはまた、飛んでいく方向を変えてと繰り返しながら、次第に地面に近づいていくのだ。
 雲の灰色が、空のこちら半分から重くのしかかってくるが、向こうのほうはすこし明るくなっている。やや金色を含んだ薄雲の色が珍しく、リルムは無意識のうちに腰のホルダーを探り、色見本帳を取りだそうとした。その拍子に、ばさ、と膝の上にあったものが床に落ちる。
 我に返り、リルムは小さく舌打ちした。
 よいしょと大きく身を屈めて、窓にあぐらをかいたまま、器用に床からかたまりを拾い上げる。
 枝を輪にして針金で止めたものだった。冬至の祝日に飾る輪飾りの原型だ。



        *



 数週間後に冬至の祝日を控えていることに気づいたのは、昨夜のことだった。
 リルムと一緒に、いつもの日課である夕食後のミーティングの席で、「こんな壊れきった世界だけど、いや、だからこそささやかにでも浮き立つ気持ちになろう、祝日を祝おう」、と共同提案してくれたのはマッシュだった。
 そういった意見をすげなく却下する人間は、白い飛空艇には乗り合わせていない。なんだかんだで人好き世話好きお祭り好きな面々が集まっているのだ。
 皆、すぐにやいやい話し始める。あれが必要だろうあの食材はどうだと身振り手振りをまじえて言いあい、はしゃいで跳びはねる者やそれを真似る者まで出 る。いつもなら議論に一石を投じる役回りのシャドウですら、興奮気味の会話を止めることはせずに、周りの様子に耳を傾けていた(いささか居心地悪そうに気 配を消しながら、ではあったが)。
 一年の終わりにある祝日なだけに、冬至の祝祭はどこの国でも盛大なものだったらしい。
 この物資不足の折、派手な飾りつけは不可能ではあるが、ホールに飾る輪飾りを作りたいよ、というリルムの申し出は期待の眼差しとともにすんなりと承認さ れた。「じゃあ、」とセリスが手を挙げ、生花は手に入らないが、造花でよければ一緒に取り合わせて飾るトピアリーを作りたい、と申し出て、感嘆の声ととも に了承される。マッシュとティナは、いつもより少し手をかけた夕食を用意すると言い、ガウに見学・体験及びお手伝いをさせようと提案した。こちらも拍手を もって迎えられ、どうせならとドマ式の儀礼をしてみることに決まる。力仕事担当の人外組とともにストラゴスが全体を采配することも追認された。青魔導士は 暗殺者と物真似師にひょいひょいと近づいていき、なにやら仕事を割り振ったらしい。必要な物資の調達のため寄り道航路をとることについても、賭博師はやや 面倒くさそうに肩をすくめて見せながらも了解の意志を示す。
「……さて、ということは俺たちはその他もろもろの調達係ということかな? ならば、フィガロ城の倉庫から国宝もののワインでもくすねてくるとしようか」
「だめだろそれ。せめて37年ものにしとけよ」
「お前はつくづく酒の価値を知らんな、ロック。名作と言われる出来のワインは42年ものとだな、――」
 冒険屋とわいわい言いあいながらホールを出ていく国王の後ろ姿を見送りながら、リルムはすでにめまぐるしく輪飾りのデザインを考えていた。……



        *



 一番太い枝で輪を作って、針金で止めてある。もういちどそれをしならせて形を整える。原型にしたその輪にからませる要領で、しなやかな枝を組み合わせて いく。前もって白金色の絵の具を塗っておいてあるので、はげてしまわないように気をつけなければならない。装飾用のパーツも、さきに充分準備し、テーブル に並べたところだ。
 迷わず進めてきた手が、ここで止まった。
 枝で輪を完成させ、装飾して、差し色のリボンを飾ればできあがりなのだ。が、その色がどうしても決められない。自分用のトランクにしまってある手持ちのリボンなら、どれも絵筆や絵の具と同様、リルムはすぐに思い浮かべることができる。
 だが――どれも、違う気がする。
 レースでふち取られた常緑樹の色も、つるりとした質感の苺色も、今年の冬至を祝う色としてはふさわしくないように思えるのだ。
 まぁ、そこまで焦る必要もない。少しおなかが空いた気もするし、そのあたりで気分を変えてくることにしよう。
 リルムはのびをすると、勢いをつけて床に飛び降りた。

(あれ? えー……、誰かお菓子でも分けてくれるかと思ったんだけどな)
 ぶらぶらと広間に顔をだすと、珍しくそこには人の気配がなかった。
 ――否、よく見ればエドガーが、一人でソファに寝転がっている。人前では気の抜けた様子をいっさい見せたことがないこの人には珍しく、うたた寝しているらしい。
 足音をしのばせて近づき、ソファの背に肘をついてのぞきこむ。それでもエドガーは気づく様子はない。
 ゆっくり規則的に息づいている、繊細だが力強いかたちの頬から顎。まつげから鼻筋にかけての、まっすぐな線。いつも見上げている身長が横になると、……実に、長い。
 知らず、そのこめかみにうちかかった、ひと筋の金髪に手が伸びた。
 しかしふと、リルムは彼の肩先に目を留める。

 ――この色だ。

 揺るがない色。失われた海の色、取り戻すべき空の色。どんよりした赤灰色の向こうの、あたしたちが求めてやまない色。
「ごめんね。エドガー、借して」
 少女は小さくつぶやくと、素早く画用紙を破りとって謝罪の一言を走り書きし、青年の髪に手を伸ばした。



 コンコン、と礼儀正しくドアが鳴って、リルムは首をすくめた。相変わらず行儀悪くあぐらをかいていた足先が、すこし緊張にこわばった。
「――リボン盗人殿。ここかな?」
 手元の紙片をひらひらさせながら、エドガーは入ってくる。
「……ごめん。やっぱ、あたしだってわかったよね」
「紙がこれだったからね」
 国王はもう一度、紙片をひらりとかざすと、スツールに腰掛けた。
「やっぱり返すよ、リボン」
「いや、構わないさ」
 青年は鷹揚に手を挙げて、少女がポシェットを探ろうとする動きを止める。
「俺が身につけていたものが、君の心持ちのままに装飾に使われるのならば、それは身に余る光栄だ」
「……。ありがと」
 リルムは膝の上に視線を落とした。
 白金色に塗られた枝輪に、木の実の殻や松ぼっくりや、尖葉に見たてた金属片をさしこみ、固定したばかりだった。いずれも、土台の枝と同じ色で染めつけてある。白金一色の飾輪にリボンを飾れば完成、だ。
「……ちょっと、シンプルだったかな」
「ふむ? 今の季節によく似合う色合いだと思うけどね」
 エドガーは手を伸ばして飾輪に触れると、少し不安げに唇をとがらせて彼を見上げているリルムを見やり、片目をつぶってみせた。
「今ここに、この場所に飾るのに、最もよく似あう色合いと形を考えたのだろう? ほかならぬ君が、ふさわしいと思えて、更に美しいと思うものなら、それが正しいに違いないさ」
「……そうだね。そうだよね」

 ガラスにもたれかかると、頬がひやりと湿る感触がする。窓の外は、あいかわらず気まぐれな風が舞い飛ぶ空模様だ。もうじき、本格的に地面が白く染まるかもしれない。
「……ねえ、色男」
「ん?」
「あたしさ、……たぶんね」
 少女は白金色の飾輪を持ち上げると、それをじっと見つめた。
「輪にする枝をこの色に塗ったときに、きっともう、飾るリボンは青だって思ってたんだと思う」
 言いながら、青年のものだったリボンを取り出し、白金の輪に結びつけはじめる。
「こんな空の色と地面の色に、みんな慣れちゃって。いちばん見ていない色が、おひさまの光の色と、空の色と海の深いところの色かなって。少なくともあたしはそうだなって」
「……そうか」
 青年は目を伏せてじっと聞いていたが、ふいに視線をあげると、妙に真摯な口調をリルムに向けた。
「ならば、誓おうじゃないか」
「……は?」
「未来の美女のためならば俺は膝くらいいくらでも折るぞ。君のためにいつか俺は扉を開こう、そこには光の射す深い海が現れるだろうと。そんな時が必ず来るだろうと。扉につながった旅路の、俺は踏み石にでも喜んでなろうと」
「何それ。美辞麗句がわけわかんないし、頼んでないってば」
「大仰な言葉を並べて公言するからこそ、誓詞というのは複数の人間に共有されるものなのだよ」
「だからなんなの、それ――」
 いけしゃあしゃあと人の悪い笑みを浮かべて国王は立ち上がり、リルムに近づくと、足もとの床に優雅に膝をついた。
「さあ小さなレディ、どうぞ命じてくれたまえ。君が地上に蒼穹と翠緑の色を取り戻し、将来その真中で得るべき名声と美貌のために、今この世界を覆っている暗雲を斬りさく剣の、露払いとなれと――」
「もう!」
 リルムは肩を震わせて、声を上げた。
「やっすい。安いよ、その言葉」
 青年に向けてぽかぽかとこぶしをふりおろす。エドガーはそれを軽くてのひらで受け止め、「まいったな」とぼやいた。
「結構まじめに誓っているぞ? 俺は」
「普段の行いが悪いんだって! なんなのなんなのなんなの、誰にでも言えるような巧言ばっかりさぁ! あたしが、聞きたいのは、……」
 ふと言葉に詰まった少女は、一瞬の沈黙の後にべーっと舌を出してみせ、ぷいと窓の向こうを見やる。
 青年は彼女の頭をなで、二人は並んで吹きすさぶ雪の破片たちを眺めた。

「……ねえ、誓ってよ」
 ふいに、ぽつりとリルムは言葉を零した。
「おひさまの光の色と、空と海の色が見える世界を見せて。あたしに」
「ああ、誓うとも」
 エドガーは胸に手を当ててもういちどひざまづき、姫に仕える騎士の礼をとった。
「誓うとも。――いっしょに、取り戻そう」
「……うん。よろしくね」
 小さく笑った少女は、青いリボンを結び終えた飾輪をとりあげ、青年の頭にのせた。
 太陽の光の色と深い水の色でできた冠が、王の額を縁どった。

「よろしくね。青色の王様」

 

 

(2012.12)