別館「滄ノ蒼」

言入

 なんでもないように、唇を重ねる。
 軽くついばむキスをして、そのまま頬の線をたどり、耳朶に軽く噛みつく真似。甘えるようにくすくすわらうセリスの背を片手で抱き寄せ、首元に鼻先を埋めれば、ふっと淡く、薔薇の香りがした。
 彼女がいつも身にまとっている、あでやかなのにどこか青い、薔薇の茂みを思わせるような香りだ。ずっと自分で買っていたらしい華奢な小瓶を、いつからかロックが贈るようになって、それはもうじき三度目を数えることになるだろう。
 本心ではちょっとだけ、ロックが選んだ香りを身に着けさせてみたい、と思わなくもなかったのだけど。意地っ張りで愛らしいものがすきで、ほんのすこし天邪鬼な彼女に、一番似合うのは結局のところ、花の女王の香りだった。
 いつだって、視線を引かれるから。言動はしっかりしているくせにあやうくて、思い通りになどなったためしがないから、目が離せなくなったのだと思う。
 ほんのりと香る薔薇の香。その主がちゃんと、腕の中にいる。
 もう片方の手には、薔薇の花束を下げたままだ。
 ああもう、どうにも締まらない。ほんとうは、
「ただいまセリス。これ、受け取って」
 と言って、さらりと渡すつもりだったのに。それから彼女の手を取って、
「話がある」
 と切り出すつもりだったのに。
 でもまあいいか、そんなものなのだろう。仰々しい高級店で夜景鑑賞を気取る柄ではない。キザったらしい台詞とともにワイングラスなんぞ掲げてみせる柄でもなく、薔薇を一面にしきつめて膝を折ってみせるなんて柄でもなかった。そういうことだろう。
 半ば居直って、ロックは彼女を抱く片腕に力をこめた。誕生日でもなにかの記念日でもなんでもない、こんな普通の日に、普段着のままで、思っていた言葉を思ったように口にだすこともできずに、彼女にささやく声は、ひどくかすれた。
 
「セリス。結婚して……」
 



プロポーズの日(6月第1日曜)、ローズの日(6/2)によせて