別館「滄ノ蒼」

「色魔」

 砂利道がじわじわと暑い。
 梅雨の晴れ間、どこからかコロコロと蛙の鳴き声がする。
 ようやく目当ての文化住宅に至り、訪う。

「久しぶりだな、オーエン! 俺だ、いるか?」

 少しの間があって、内から密やかな物音がした。からり、と戸が開く。

「……うるさい」

 銀灰色の髪に、不健康そうな青白い頬の青年が、素足のまま 三和土 (たたき) に降りてきていた。
 単衣を着流した上から、紫陽花の柄の女物の絽を引っ掛けているのである。なんだか寝起きみたいな雰囲気で、目尻の端だけがほんの少し紅を掃いたようになっているのを、淡い縹色の絽地と薄暗い空気が引き立てている。
 彼は眉間に皺を寄せてカインをねめつけると、「さっさと 短靴 (ブーツ) を脱げよ」と顎をしゃくった。上がり框に腰を下ろして言う通りにするのも早々に、オーエンはカインの帽子を奪い取り、腕をつかんで廊下を引っ張っていく。応接室に通されるのかと思いきや、脇の和室に突き入れられた。

「着替えて。兵学校の制服なんて目立ってしょうがないでしょ、暑苦しい」
「分かった、が、先に手水くらい使わせて欲しいんだが」
五月蝿 (うるさ) い。女中は暇を出してあるんだよ」
「静かだと思ったよ。……あんた、それで朝飯は食べたんだろうな?」
「放っといて。……ほら、丈は同じなんだから間に合うだろ、これ貸してあげる」

 箪笥を開けて、銀鼠の縮の単衣を投げ出すと、ふんぞり返って「早くしろ」と促すのである。
 苦笑して、カインは上衣を脱ぎ捨てた。 襯衣 (シャツ) (ボタン) を外し、 洋袴 (ズボン) も脱ぐ。帯をしめていると、血の気の薄い腕が伸びてきた。

「……っ!?」

 薄い唇が、カインの同じ場所に寄せられる。思ったよりも強い力がこもって、頭を動かせないでいるうちに、ぬらりと細い舌が忍び込んできた。

「ふ、……ん」

 そのままずるずるとくず折れた。肩に手が絡みつき、畳に押し倒される。銀灰色の頭が喉元に近づいてきて、鎖骨の間をぢゅっと吸った。襟のあわせにするりと手が入り込んで、胸の筋肉の境目をつい、となぞっていく。
 紫陽花が、ひらり、揺らめいて、オーエンはカインの腹の上にまたがっていた。

「お土産、ないわけ? 脳味噌をぐちゃぐちゃにして凍らせたみたいな、白くてべたべたで冷たいやつがいい」
氷菓子 (アイスクリィム) な。――無茶言うなよ」
「何だよ、使えない」
「無理言うなよあんた、俺は汽車に乗ってきたところなのに。そっちの包みに焼菓子があるから」
「ふうん」

 カインに馬乗りになったまま、そちらをちらりと見やったオーエンは、不意にかがみ込んで、鼻先で襟を押し広げた。冷たい舌先が喉元へ這いあがる。耳朶を軽く噛み、胸元をかすめあい、背を反らせてまたがり直す。股座を触れ合わせ、カインのその部分がうすく熱を持ちはじめているのを確かめて、満足そうにちろりと唇を舐めた。

「――ふふ。色魔」
「……お前は」

 縁側からの光が薄く射し込んで、オーエンの右頬を白く染めている。それを見上げるくっきりした眉の下で、金色の目が細められた。投げ出されていた剣帯に手を伸ばし、瞬時に短剣を抜いて、相手の喉元に突きつける。

「誰だ?」

 カインと対称のはずの目を紫色に光らせて、其奴はにいっと口の端を持ち上げた。

(2022.6.5初出)  

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