空気がひどく蒸し蒸しして、肌に粘りついてくる。
背中のすぐ後ろにある愛おしい気配が、怯えと怒りを含んで地に伏している。
それを後ろ手にかばいながら、闇をにらみつけた。
善くないものの質量が、そいつの圧力が、数瞬ごとに増し、膨れ上がっていく。
ちらりと視線だけで後ろをさぐると、主の額のあたりから、ごく頼りない細い光が出て、闇の中へと引かれているのがわかった。
あれは、主の魂の糸だ。もう殆ど、闇の中の奴らに捕らえられてしまっているのだ。そう思うと、腹の底がずくりと冷える。もう少し、あと少し、あの闇がこの糸を引けば、主の魂は完全に奴らの手の中に収まってしまうだろう。
味方が駆けつけてくる見込みはない。ない――のだろう。
どういうわけか、ここに走ってくる間、どの襖をのぞいても、誰もいなかった。そして未だに、何の気配も感じ取れないでいる。
刀を――自分の本体を、構えなおした。闇に目を凝らす。感じ取れるのは、圧倒的な悪意だけだ。どうやらこの「敵」には、いつも立ちふさがる連中のような、人型の肉体らしき依代は備わっていないらしい。
「――主を、離せ」
この本丸を潰したいのなら、主の命をさっさとひねりつぶしてしまうのが一番早い。なのに、何故。ほかの仲間の姿を消してまで、何故、主と自分とだけを。
できる限りの力を込めて、もう一度、紡いだ。
「離せ。――主を。その魂を」
――愉快なり。愉快なり、愚かな付喪神よ。
――只今の言霊が、おまえの望みか。
響く声は、老人のようにも子供のようにも聞こえる。そして、身体全体を押し包んでくる。
「ああそうだ、それだけが望みだ。末席とはいえど、神の言挙だ」
応えを返せば、闇がふるふると、揺れた。
――愉快なり。愉快なり、我に[[rb:順 > まつろ]]わぬ憑喪よ。
「何が望みだ? 何がしたい? 目的は……この本丸ではないな?」
――いかにも。我にな、見せるがいい。
――其奴の魂を離してやるのは、吝かではないがの。ただ離してやるのでは詰まらぬ。我にな、見せるがいい。
「……何を」
――ちいさな九十九神が、どちらを選ぶのかを。
その主が、おまえとともに歩んだ過去を失うか、
その主がおまえに向けてくれる想いを失うか、
――選ばぬならば、このまま魂の糸をもう少し、ちょいと引いてやるだけのことだ。さあ、
――選べ。
楽しそうな笑い声が、闇の中から響いた。