「もう一度!」
ミンウの声が響いた。
反乱軍の戦士たちが剣や槍の訓練にいそしむ熱気が、石畳の広場を覆っている。
その広場の隅、一番建物に近いところで、フリオニールは木の棒を構えた姿勢で、息を乱れさせていた。
杖術のごく初歩の型どりを教わっているのだが、すでに馴染んだ武器である剣や弓とは勝手が違って、扱いに苦戦しているらしかった。
「体の中心を保つんだ。一本真ん中に糸が通っているような、そんなつもりで姿勢を変化させるんだ」
「……はあ、はあ、……っく、」
「そう、ここの身のさばき方だ。上体は起こしたまま腰を落として、……そうだ、」
「……はあ、はあっ! ……う、」
「今のは悪くなかった。……少し休憩するか」
「……うう」
杖を構えた姿勢のままフリオニールはごろりと地面に転がりこんだ。ぜいぜい言いながら上下させている胸元からは、少し湯気が上がっているようにも見えた。ミンウが水差しを取ってきて顔の近くに置くと、仰向けに寝転がったままそれを持ち上げて、思い切り顔に水を浴びた。
「きついか? フリオニール」
「……ああ……、跳んだり走ったりしてるわけじゃないのになんでこんなに疲れるんだよ……」
「全身の感覚を研ぎ澄ませないといけないからな」
言いながら、ミンウはフリオニールの横に腰をおろした。ようやく息がおさまってきたらしく、フリオニールは上半身を起こし、後ろ手をついて、ふー、と大きく息を吐いた。
高く澄んだ青空に、刷毛ではいたような雲が流れている。
「フリオニール」
「?」
ミンウの呼びかけに、水差しを傾けていたフリオニールは首をめぐらせた。
「たいしたことじゃないんだが……、君は、武器は剣と弓と、……あとは何を使えたのだったかな」
眼をくるりとさせると、フリオニールは口の端からこぼれおちた水を手の甲でぬぐう。拭いきれなかった水滴は喉元をすべりおちていった。
「一応、ナイフと……、あと槍を少し触ったことがある。ナイフは小さい俊敏な獲物、槍は大きい獣用に」
「人間相手に遣ったことはないわけだな。……そうか、それで……」
「だって俺、この間まで猟師の息子だったんだぞ? 村には時たま旅の剣士が来るくらいだから、人に見てもらったことがあるのは剣だけで……、弓と槍は、レオンに――兄に使い方を教えてもらった」
うなずいてみせる白魔道師にうなずきかえし、水差しに口をつける。
「だから驚いたんだ、ここに来て、騎士の訓練を見て。みんな、あんまりきれいに武器を遣うから。斧や杖なんか、武器になるなんて知らなかった」
ミンウは自分の武器を引き寄せた。
「杖――というか、これは少し違うかな。持ってみろ」
フリオニールに渡された杖は、先端が金属で重くなっており、尖らせてあった。
「そういう形だと、重みにまかせて振りまわすだけで武器になる」
「へえ……」
見慣れないおもちゃを近くで見た少年のような目をして、フリオニールはしげしげとそれを見ていたが、ふいに、訊ねた。
「そういえばさ、ミンウ、魔道師や坊さんってなんで杖を武器にもつんだ?」
白魔道師はそれを聞いて、ほう、という目をした。
避難民や帝国に反感をもつ戦士たちの流入によって、アルテアは種種雑多な人間のちょっとした見本市の様相を呈するようになっていた。
白から黒まで濃淡さまざまな皮膚や髪の色。右手に見たこともない大鎌を背負った大男あれば、左手に黒いローブで顔を隠した魔道師あり。前方に戦士たちを 客にあてこんだ商人あれば、後方に同様の目当てをした娼婦あり――ただ皆に共通していることがある。いずれも、どこかくすんだ、埃にまみれた印象を与え る、ということだ――
いずれにしても、フリオニールの言うとおりだった。戦士は各々の得物を腰に佩いているし、商人や職人などは各自の手になじんだ、適当に武器になりそうな ものをもって野に出る。当然、道行く人々が持っている武器は、剣だったり槍だったり弓だったり、時にはクワや鋤だったりする。だが、魔道師や僧侶の服装を した人物はいずれも、町の中では剣など下げていたとしても、外へ行く時はさらに杖を携えていた。
「――それに気づいたのか。君はとても注意深いな」
ミンウはいつものように、目をすこし細めるだけの微笑をつくった。最近ようやくフリオニールは、これが彼の笑顔なのだと理解したのだった。慣れない者は表情が薄いように思うかもしれないが、感情を表にあらわさない魔道師の訓練をつんだためなのだ。
ほめられて、フリオニールは少し困ったような顔をした。表情を変えないまま、ミンウはしれっと言う。
「杖は、傷口ができず血を流さない武器だから、『慈悲深い』ためらしい」
「……え?」
「こういう、力任せに振りまわす杖なら、当たりさえすれば血を流さずに骨と内臓だけぐちゃぐちゃにできるわけだ」
ミンウは杖をとり返すと、フリオニールに向けて突きだした。フリオニールは大きく体をねじってそれを避ける。何か言おうとして飲みこんだのか、小さく喉元でぐう、と言った。
「……やはりな」
「……なん、だ? ミンウ」
「無駄な動きが少しばかり多い。もともとの反射神経に頼りすぎだ。――機会があったら、体術をやったほうがいいな」
フリオニールは少しの間目を丸くしていたが、自分を傷つけないためにね、と言ったミンウに、鋭い眼をして頷いてみせた。
「力任せに武器を振っていると、自分の体によけいな負担がかかるからな。それに、どんな武器でも基本的な型を知っていれば、自分が対応しやすい。我々の敵は何の武器でかかってくるかわからないからな」
「うん、この町のまわりだけだって毒蜂だの帝国兵だの見たことない怪鳥だの、いろいろいる」
「だろう。剣や槍をもった兵士が相手とは限らないし、もしかしたら道端の木こりが手にもった斧で殴りかかってくるかもしれない。地にわく魔物――ゴブリンなんかは鉈をもっていただろう? 魔道師だったら、これだ」
ミンウはちょっと杖を持ち上げてみせた。
「本当は私は、教えるのは苦手だ。杖を扱える騎士が反乱軍にいれば良かったのだが――」
「いや、ミンウに教えてもらえれて嬉しいよ」
ほんの少し目を細めたミンウは、槍なら元カシュオーン騎士の某が巧者だ、ナイフの扱いはポールにも聞いてみろ、体術はヨーゼフがいれば最高の教師だ、などと言った。
「――帝国の進攻は速い。我々には時間がない……、君にも、無理をかけている」
「いや、大丈夫だ、俺は……」
フリオニールは不意に目を伏せ、少し唇をかんだ。
「俺は、早く、――強くなる」
「フリオニール?」
「俺は、……!」
フリオニールははじかれたように立ち上がると杖をつかみ、先ほどの杖型をしゃにむに繰り返し始めた。
「やめろ、フリオニール」
ミンウも立ちあがって近づいたが、フリオニールは背中をむけてさらに杖を振った。
「一度にやっても上達はしないぞ、毎日続けなければ」
「それじゃあ間に合わないんだ。早く、……早くどんな武器も扱えるようにならないと」
「フリオニール!」
ミンウはフリオニールが振り下ろした杖の柄をつかみ、もう片方の手で手首に手刀をうちおろした。腕がしびれ、杖を叩き落とされたフリオニールは、よろめきながら石畳に座りこんだ。
からり、と杖が音を立てて転がった。
膝をついてのぞきこめば、フリオニールは無表情のまま、涙を流していた。
「……レオンハルト……」
「……落ちつくんだ」
ミンウは、小さく震えはじめた肩にふれた。
「レオンハルト、……レオンハルト……!」
フリオニールは下を向いて嗚咽をもらした。熱い水滴が、ぽたぽたとミンウの膝をぬらした。ふるえる肩は、まだ少年と言っていいはかなさを宿している。熱いそこを、なでるばかりだった。
老成した戦士や年長の僧侶であれば、今のフリオニールに適当な励ましの言葉をかけ、力づけることもできるだろう。
しかし、ミンウにはかけるべき言葉が思いつかなかった。
魔道師という、言葉を操り、自然の理を動かす力をもちながら、目の前の少年の内側を斬りつけた刃に対しては、ひどく無力だった。
彼はただ、フリオニールの頭を抱きしめて、背中をなでつづけた。
(2011.12)