別館「滄ノ蒼」

phase5

 

 水に沈んでいく夢を、見ていた。
 目はしかと開けていて、両の手には剣を固く握りしめている。
 差し込む光を反射してゆらゆら滲む視界と、冷えきった体。
 武器を振りあげようとしても、動きはままならぬ。腕は重く、ばたつかせた足は何もけり返すことができず、流された刃先が目の前を、ひらひらと漂っていった。
 すべての手応えが、ない。しゃにむに武器をふるっているつもりだが、水は彼に斬られることなく、水底に引きずり込み続けるのだ。

「つまらぬな。――解除せよ(デスペル)」
 水の中で聞く音楽のような響きが、耳に届く。届いた、気がした。
 
 視界の揺らめきも滲みも、ぬぐい去られていった。
 腕が軽くなった。足下はしかと床をとらえた。固く握りしめたままだった指先は、柔らかに柄を握りなおした。
 締めあげられるようだった快楽の波が引いていく。
 裸の胸元を、腰を、首筋を、すべらかに包んでいた、温く重いものに手放されていく。その部分はかわりに、無骨な黒の鎧に覆われていく。ただの青年だった 彼は、水から引き上げられていくにつれ、パラメキア帝国の冷酷無比な実力者である騎士に変わっていった。意のままに双刃を操り、構え、彼の主君でもある艶 やかな男の冷たい微笑を、まっすぐに、正面から捕らえた――

 ギイン! と、刃と刃のぶつかる音が、華やかに舞い上がった。

 斬りつける。飛びのく。かわした身の心臓の位置を、閃光と化した武器の柄が貫いて飛んでいく。刃を突き出す、頬の表面から皮一枚外側の空気を斬りさく。武器の風圧が布を巻きあげる。
「つまらぬ。貴様はまだ、摂理の異常をもたらす魔法に、易々と絡め取られてしまう程度の腕しか持たぬか」
 さらさらと侮蔑の言葉を紡ぎ出す皇帝に、黒鎧をまとったその臣下は口元をにやりとつり上げて見せ、「あえて捕らえられたのですよ、陛下」と投げ返した。
「あまねく地をしろしめす我が皇帝よ、……俺は誓おう」
 急に声を低め、黒い騎士は半月斧を抜いて構えた。
「いつか、いつか――」
 じり、と足を運ぶ。距離は縮まない。緊張の糸だけが張りつめる。
「俺は、お前を、」
 ダークナイトはゆっくりと、武器を振りかぶる。
 彼の主も、同時に杖を構えた。
 にらみ合う絶対零度の視線同士、見交わして、双方にやりと口元をつり上げた。
 空気が動く。奔る。殺気同士がぶつかる。力を全くゆるめないまま、二人は斧を振り抜き、杖を突き出した。

 双方の刃は、互いの喉元にぴたりとつけられていた。
 もしも些かにでも、自分に向けられた刃に力が込められたとしたならば、相手の喉に突きつけた自分の刃は、容赦なくそのまま相手を貫くだろう。
 主従は彫像のごとく微動だにせず、刃の先はぴくりとも動かない。ただ、かすかな空気の揺らめきだけが、水滴のように喉元を通り過ぎていった。

「――俺はいつか、お前を倒し、その座を手に入れてやる」
「――私はいつか、貴様を打ち倒し、心からの完全なる屈服をさせてみせよう」


『――誓いの剣を喉元に。』

 

レオン兄貴がなに思ってああなったか大層想像の余地があるところであります