霧時雨、とでも呼ぶのだろうか。
どよりと低く垂れ込めた雲の向こうの、どこか遠くで雷が幽かに鳴っている。
もうすぐ雪の季節だと空が知らせる、冬のはじめの、冷たいびしゃびしゃの雨が降る。
いくつもの国々を、数多くの人々を、滅ぼしたくせに未だに償いのできない私には似合いかもしれない。
雨は好きではない。
でも、特に嫌いになる理由もない。
こうしてブラックジャックの甲板の陰から四角く切り取られた空の景色をぼんやり眺めるのは割と気に入っている。
雨は霖々と、灰色の線を空に引いている。
か細く甲板を打ち続け、ひた、ひた、と密かな冷たい音をたてる。
いつしかその温度はさらに下がり、ゆらめきながら落ちてくる白っぽい微塊となる。
突然、どくんと心臓が鼓動をうったのは、彼の声が聞こえたから。
思わず甲板に駆け上がったのは、彼が地面に降りていく気配を感じたから。無意識にその姿を求めたから。
どうか私の姿を見つけて。
どうか私のほうを見つめて。
「すげえや、雪だぜ雪!」と草の上ではしゃぐその明るい声。お前一体いくつだよと馬鹿にする内からの声には洟も引っかけず、気持ちよさそうに曇天を見上げて、舞い落ちる氷片を顔に受ける、その後姿を遠く見つけて。
またこの心臓はどくんと跳ね上がる。
彼の目に、この姿が映ってしまうことを恐れたから。
彼の目にこの姿が映るたびに、まっすぐなその目は困ったように逸らされてしまうから。
大気が冷えきっても、そこに満ちる水分はやはりびしゃりびしゃりと降ってくる。
見上げれば、相変わらず一面の灰色。
どうか私の姿を見つけないで。
どうか私のほうを見つめないで。
私は彼から身を隠し、壁に背をあずけて息を潜める。
忘れることのできない悲しい愛しい、大切なひとを、思い出させてしまうのならば。躰を裂くような記憶を、そのひとと似ているのだという、この顔が思い出させてしまうのならば。
私は決して彼女のように紅を差さない。私は決して彼女のように温かく微笑まない。私は決して彼女のように、優しく彼を手招きしない。
上を向いて目をぎゅっと瞑れば瞼に、水滴の感触。
笑いかけてくれなくてもいい。
守ってくれなくてもいい。
ただ、仲間であると信じてもらえるのなら。ただ、背を預けて戦える人間だと認めてくれるのなら。
私は戦い続けよう。彼の傷を癒し、彼を守る盾となり続けよう。
だから。
どうか私の向こうに影を見つめて、悲しそうな目をしないで。
手をさしだしても、雪の結晶だとかいうものを掴むことはできない。
氷花と呼ぶには湿気の多すぎるその、落ちてくる透明な欠片は、私の肌に触れないうちに溶けてしまうから。
絶えず空から降り来る氷雨は水となって流れ、指の先からしたたりおちる。
髪は既に重く水気を含んで、ゆっくりと体の熱を奪ってゆく。
―雪は、いい。
今も、彼の頬に触れ続けているのだろうから。
彼の首筋に舞いおりて、その体温に暖められているのだろうから。
そして、彼の唇を濡らし、咽喉を潤して、その身体を温めているのだろうから。
溶けてゆきたいと思った霙の冷たさにこの身は染まり、しっとりと凍りつくように濡れそぼっている。