別館「滄ノ蒼」

2、古書店

 
 ひょいと入ってきた男の服装は、日の当たらない本棚の横に置くにはひどくちぐはぐで、古書肆の店主は手元の本から顔を上げ、片方の眉を上げた。
 いかにも冒険者らしいいでたちだ。全身にお日さまのにおいをまとわりつかせ、活動的な短いジャケット、頑丈そうなブーツにジーンズの裾をねじ込み、頭にはぐるぐるとバンダナを巻きつけてある。ペンダントやら何やらがじゃらじゃらとあちこちに下がっているのはいいが、シャツにもベルトにも泥がはね、土埃で薄汚れている。バンダナなど、どこかに引っかけたのか、ひきつれて糸が出ているようだ。どこぞの遺跡からでも引き上げてきたところかもしれない。
 男は砂色の髪をくしゃりとかき回すと、店内をひとまわり、見回した。

「何かお探しで?」
「あ、ええと、……絵本って、あのあたりか?」
「そうだよ。欲しい版があるかい?」
「いや、特に。ちょっと見せてもらうぜ」
「どうぞ」

 店主が指差したあたりに男は足を向け、かがみこむ。木箱に、何冊も絵本が立ててあった。それらを一冊一冊引き抜いては、表紙を眺め、ときどき中を開いていく。
大きな字で描かれたタイトル。どれも角が剥げていたり、色が褪せていたり。どこかで聞いたお姫様や小人や魚が、表紙で笑っている。

「子供向けの物だからね。古書となると、どうしても傷むものだよ」
「そうだよな」

 応じながら箱におさめ、また一冊を取る。うすくて色鮮やかで頑丈な本だ。表紙には、青い上着を着て飛び跳ねる兎が一匹。

「これ、だいぶ昔のものか?」
「そうだな。五十年ほどか……そのシリーズは、内容よりも挿絵絵師で有名だな」

 店主が何やら人名をあげると、男は「うん、聞いたことがあるよ」と言った。
 ページを開けば、兎や針鼠がいたずらをしに走り回るさまがいきいきと描かれており、実に愛らしい。飛び跳ねるような色合いも線の精確さも他にないもので、高い評価を得ているものだという。

「……こういうのは、好きかもしれないな」

 すこし考え込むように表紙を閉じ、裏表紙を眺める。作者の署名、出版年、印刷所の名前。 贈る相手を思うように、そっと表紙を指先でなでる。

「作者はニケアあたりの人なのか。……うん、読んだことないんじゃないかな? ペンのタッチは、好みだろうな。繊細でやわらかくて」

 男の目元が、くしゃっとやわらかくなった。もういちど本を裏返し、表紙絵を見つめる。
 ……店主には覚えのある表情だった。贈り物をみつけて、気持ちと目の前の品が腹の底にぴたりとはまったときのものだ。

「家から手紙が届いたんだ。以前一緒に買った封蝋に、小さいドライフラワーが添えてあった。返事に絵本を添えて寄越そうと思ってさ」
「そうですか」

 店主はとくに深追いもせずに、ただ片眉をあげて、「発行部数が多くない本だし状態もいいから、思うほど安くはないと思うよ」と言った。

「構わないさ。これをもらう」

 男はどこからともなく小さな革袋を取り出す。じゃらり、と決して小銭だけではなさそうな音が立って、店主はまた片方の眉だけを軽く動かしたが、淡々とギルを受け取り、丁寧に絵本を包んでいく。
 包装紙の上にかけられた、透けるようなオーガンジーの青いリボンが、見る間にすっきりと整えられていった。
 男はそれを見て、一瞬驚いたように目を見張ったが、大事そうに包みを受け取ると、ニカッと笑って出ていった。
 
 ……あの絵本を贈られるのはどんな人物だろうか。包みをあけて、驚きに目を輝かせ、頬を上気させてくれると良い。たいせつな本が一冊増えたときの喜びは、想像するだけでも書肆冥利に尽きるというものである。
 古書肆は番台に座り直すと、本を開き直した。
 

 

(2020.10 「ロクセリ通り商店街」に寄稿)